ねらわれた学園 97年度テレビ版

★★★★★

 

「演技」というものについて僕が考えるようになったのは、

テレビ東京で深夜に放映していたドラマ、

『ねらわれた学園』がきっかけだった。

 

具体的に言うと、馬渕英里何の演技。

青春ドラマ『白線流し』では、

ちょっとひねくれた性格の、冴えない演劇部部長を好演していた馬渕だが、

『ねらわれた学園』では、

まったく正反対の表情を見せてくれる。

 

馬渕が演じたのは、生徒会長の「高見沢みちる」。

つねに意味ありげな含み笑いを浮かべる彼女は、

ミステリアスな雰囲気を放つと同時に、

小悪魔っぽい愛らしさをも感じさせる。

『白線流し』で見せた野暮ったさなんて、微塵もない。

 

僕はビデオで全話録画するくらい、

『白線流し』の大ファンだったので、

当然、馬渕英里何という女優の存在も知っていた。

そして、『ねらわれた学園』に出演していることも。

だが、その彼女がどこに登場したのかは、

不覚にも番組が終わるまで気が付かなかったのだ。

 

それくらい、馬渕の「変貌」は徹底していた。

文字通り「役を演じる」ということが役者の仕事なら、

馬渕英里何は本物の女優だ。

僕は胸を張って言える。

 

「変貌」と言えば、

先立って公開された劇場版から続投して、

主人公「楠本和美」役を務めた村田和美も、特筆に値する。

劇場版では清楚なキャラクターを演じていたが、

このテレビ版ではうってかわって、

ミニ・スカートにルーズ・ソックスを決める、

「イマドキの女子高生」に違和感なくなりきっている。

また、同じく劇場版から村田を支える柏原収史の、

生硬ながらリアルな芝居も、いい味を出す。

やや小難しいストーリーであるにもかかわらず、

飽きることなく引き込まれていったのは、

彼ら主要キャストの力量によるところが大きい。

 

ちなみに、劇場版で「高見沢みちる」を演じたのは、

馬渕英里何ではなく、佐伯日菜子だった。

 

ストーリーの内容は、

言わずと知れた古典ジュブナイルのリメイク。

しかし、劇場版とは180度違う世界観で再構築されている。

 

劇場版の、ともすれば冗漫に感じられたレトロ志向を一掃し、

SF的な緊張感を強調したテレビ版は、

より新鮮でスリリングだ。

先述のとおり、劇場版では大人しかった楠本和美が、

このテレビ版では、もっと活発な性格の少女として描かれ、

積極的にストーリーを引っ張っていく。

 

さて、連続モノのテレビ・ドラマが、映画と違って難しいのは、

その時間の長さである。

映画なら、いくら退屈でもよほどのことがないかぎり最後まで我慢するが、

連ドラの場合、つまらないと思ったら、もう次回は観ない。

 

その意味で『ねらわれた学園』は、大損している。

 

このドラマ、途中まで(具体的には第3話まで。ビデオで言うところの第1巻)は、

信じられないくらい最低の出来だった。

奇を衒った演出(男がルーズ・ソックスなんて履くわけねぇだろ!)に、

露悪的な台詞(「セックスのやりすぎなんじゃないの?」って・・・)。

若者の生態をまるっきり勘違いした、

トンチンカンな描写に失笑を禁じ得ない。

じつは、カルト女優、三輪ひとみの記念すべきデビュー作でもあるのだが、

それ以外には何の価値も見いだせない。

(そう考えると、第5話から観始めた僕はラッキーだった)

 

ところが、第4話以降(ビデオ第2巻)から、

いきなりドラマのテンションが急上昇する。

 

とくに第4話『対律』は、凄い。

 

高見沢みちるが、楠本和美を「誘惑」するエピソードだ。

わざと時間軸をばらし、巧みに緊張感を高めるプロット。

降りしきる雨が、不穏なムードを煽り立てる。

 

湿気による不快指数が高まったことで、胸元に玉のような汗をかき、

苦しそうに息を乱す村田和美の姿は、なんともエロティックだ。

 

しかし、この後、さらに度肝を抜く。

 

なんと、村田和美が、いきなり鼻血を飛ばすのだ。

それも、まるで水鉄砲みたいな勢いで。

 

慌てて鼻を押さえる和美。

彼女の前にみちるは、

乱暴に、しかし穏やかな微笑みを浮かべながら、

水のいっぱい入ったコップを置く。

そして言う台詞。

 

「ペッ、ってしてごらんよ……そしたら、血の塊が出るから」

 

うわぁ。

 

なんだこりゃ?

 

アイドルにこんな芝居やらせる監督、ヘンタイじゃないのか?

 

もう、ワケがわからない。

 

なのに……ものすごくエロい。

 

エロスとは、理屈じゃなくて感覚なんだと、僕はこのドラマによって教わった。

(リアルタイムで観逃したのが口惜しい!)

 

その後もドラマは、エンディングに向かって加速していく。

 

恋人である旧生徒会長「京極」の意志を遂行するため、

それに従わない生徒たちを抹殺していく、高見沢みちる。

しかし、楠本和美とその仲間たちが、

みちるの勢力に対して必死の抵抗を試みる。

 

物語の鍵となるのは、

「同じ意志を持つ人間たちが一定数集まれば、想像が現実化する」という思想。

白い花が並ぶ花壇で、

自らの存在を主張するかのように咲く赤い花が、

和美たちの悲壮な戦いを象徴するかのようだ。

 

耳慣れないオカルト用語や、

疑似科学の理論が散りばめられた脚本は、

当時ブームだったSFアニメ、

『新世紀エヴァンゲリオン』の影響をモロに受けている。

その衒学的な趣向は、

今観返すと、いささか青臭さを感じないでもない。

 

しかし、それが青春ドラマ特有の、

儚く繊細なムードにつながっているのだから、

けしてマイナスにはなっていない。

 

十代の頃、背伸びして難解な哲学書だの自己啓発本だのオカルト本だのを読み漁って、

「自分探し」した経験は、誰しもあることだろう。

だんだん年を取ってくると、

いつしか「自分探し」なんて陳腐な言葉は「NGワード」に指定して、

廃品回収の日に古本とまとめて捨ててしまう。

 

だけど、ドラマの中では、

あの当時の美しい記憶だけが、永久に保存される。

だから僕は、『ねらわれた学園』を観るたび、

美化された青春の心地よさに浸ることができるのだ。

そう考えれば「エヴァ風味」も、

あの時代の空気を反映していて、なんだか微笑ましくていいじゃないか。

 

あと『ねらわれた学園』は、音楽の使い方も巧い。

村山竜二が手がけた劇伴は、

無駄のないシャープなアレンジで、作品の瑞々しさをいっそう引き立てている。

 

もちろん、主題歌も忘れられない。

GISHO が歌い上げる、躍動感溢れる『水のワルツ』で幕を開け、

飯島真理のキュートなバラード『三日月のカヌー』で締める。

タイプは違えど、両方とも、なんだか聴いているだけでワクワクしてくる曲だ。

 

エビ沢キヨミ(本業は漫画家)が歌う、

映画版のエンディング・テーマ『未来からの追憶』は、

テレビ版でも挿入歌として起用された。

不安定ではあるが、しかしそれゆえに暖かみを感じさせる歌声は、

どこかノスタルジックな響きを帯びている。

ルーズ・ソックスやデジカメといった、

当時最新鋭の流行アイテムが横溢する作品世界は、

さらにワケのわからない未来へ突入していく。

そんな中で、エビ沢の歌は、

忘れてはいけない人肌の温もりを守っているかのようだ。

 

そのエビ沢キヨミの夫である、

和風メカエルビスが歌う『ライフ・イズ・ビューティフル』は、

最終回のみで流れるコミカルなロッカ・バラード。

平和が戻った学園の空に、高らかに響き渡る。

 

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