礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2023年2月5日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
         「御霊に満たされなさい」     エペソ人への手紙 5:18


 「御霊」=「聖霊」である。聖霊は三位一体なる神の第三の人格である。聖霊は神であられる。そして、御父(父なる神)が計画し、御子(イエス・キリスト)が受肉と十字架と復活を通して成し遂げた救いを、御霊(聖霊)は私たちにもたらしてくださる。イエスの内にある救いの祝福(罪の赦し、神の子の身分、永遠のいのち…)は聖霊によって私たちのものとされる。聖霊はイエス同様、頼りになる「もう一人の助け主」(ヨハネ14:16)。

Ⅰ 「御霊に満たされなさい」は、キリスト者生活の根幹である
 「御霊に満たされなさい」。一時的でなく「ずっと御霊に満たされていること」、これがキリスト者生活の根幹である。
 「御霊に満たされている」ことがあってこそ、「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語る」こと、「主に向かって心から歌い、賛美する」こと、「すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝する」こと、「キリストを恐れて、互いに従う」ことができる。そして、「夫と妻」(5:22~33)、「親と子」(6:1~4)、「主人としもべ」(6:5~9)の関係が真に良きものとされていく。

Ⅱ 「御霊に満たされる」とは、どういうことか
 「御霊に満たされている」とは、「御霊(聖霊)」の「支配と影響のもとに置かれ続ける」ということ。
 ここで「御霊に満たされていなさい」と命令されている。ゆえに、私たちには継続的な決心と努力が求められている。御霊の支配と影響のもとに置かれ続けなさい! 

Ⅲ 「御霊に満たされている」ためには
 消極的には、聖霊を悲しませないことである(4:30)。自己中心は聖霊を悲しませる。私たちは「聖霊よ、助けてください」と祈りながら自らの罪と戦わなければならない。
 積極的には、第一に、聖霊が私たちの内におられることをきちんと認識しなければならない(Ⅰコリント6:19)。第二に、聖霊との交わりを持たなければならない(Ⅱコリント13:13)。聖霊にたえず相談するのである。第三に、聖霊が心かき立てて(鼓舞して)くださるすべての働きに十分に注意しなければならない(ピリピ2:13)。第四に、聖書に親しむこと。聖書のみことばとは「聖霊のことば」だからである(Ⅱテモテ3:16、Ⅱペテロ1:21)。

 「御霊に満たされていなさい」。自ら進んで、私たちの全生活において、知性と感情と意志のすべての面で、神の御霊に支配されることを求め続けよう。そうするなら御霊の実が結ばれ(ガラテヤ5:22~23)、より豊かな神礼拝と兄弟姉妹・隣人への奉仕へと導かれる。