礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2023年1月8日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
       「光の子どもとして歩みなさい」   エペソ人への手紙 5:8~14


  パウロは光と闇の比喩を用いて「光の子どもとして歩みなさい」と勧める。それは実に喜ばしい歩みである。

Ⅰ 今は、主にあって光となりました(5:8~9)
 イエスを信じ、光なるイエスに包まれ、私たちは「光」となった。「光の子どもとして歩みなさい」(8)。キリスト者は  ますます光であるキリストに照らされ、キリストの光(愛、赦し、いやし、きよめ、永遠のいのち、希望)を浴びるよ  うに受けながら、周囲を照らす光として生きていく。
 さらに、光の子どもである私たちは、善意、正義、真実という実を結んでいく。内なるキリストがそのような実りを私たちの人格と人生に 創り出してくださる。それには時間がかかる。じっくりとイエスと交わり、祈り、イエスに期待しながら前に進んでいきたい。

Ⅱ 何が主に喜ばれることなのかを(5:10~12)
 10~11節は「光の子どもとして歩みなさい」という命令の具体的な心得を教えるものである。
 第一の心得は、今置かれた状況の中で、「主に喜ばれることが何であるかを」試行錯誤しながら、具体的現実的に吟味していくことである。
 第二の心得は11節にある。対社会的な心がけである。実を結ばない「暗闇のわざ」(4:25~5:5に列強されている)には「加わらない」 こと、そして、「むしろ、それを明るみに出しなさい」ということ。加わらないことで、人々の暗闇のわざを照らし出していくのである。そのよ うな光の子らしい反射的な応対、そして、思慮深い付き合い方の中で、世の人々のしていることの恥ずかしさ加減や、実の結ばぬむな しさを「明るみに出し」ていく。
 しかし、「光の子どもとして歩む」ことは生易しいことではないと思う。だからこの段落の最後にパウロはもう一度根本的なことを語る  (13~14)。

Ⅲ まことの光なる「キリストがあなたを照らされる」(5:13~14)
 13~14節は8節の「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい」を今一度説明した結びである。13~14aで「あなたがたは…今は、光です」ということを説明する。
 そして14bの「眠っている人よ・・・」は「主にあって」を説明している。「それで、こう言われています。『眠っている人よ、起きよ。死者の  中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる』」(14b)。キリストこそ「かの光」(13)、私たちを根源的に変えたまことの光 である。この光、主イエスを仰ぎ続けなさい。

 「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる」(14b)というこの賛美は、私たちへ  の絶えざる呼びかけでもある。光となったキリスト者は、まことの光なるキリストに向かって常に目覚めていなければならない。それが暗 闇の中に逆戻りしないようにし、ますますキリストの光を世に輝かせていくための私たちの心がけである。