礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2023年1月1日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝(新年礼拝)】
         「イエス・キリストの臨在の中で」 マタイの福音書 28:16~20


 2023年の蓮沼キリスト教会の教会標語は「イエス・キリストの臨在の中で」、主題聖句はマタイ28:20「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」である。「イエス・キリストが「いま、ここに、ともにいる」こと(臨在)を覚えながら、主イエスとともに、感謝し、信頼し、安心し、喜びと勇気をもって歩んでいきたい。

Ⅰ イエス・キリストの臨在の中で、イエスを礼拝する(28:16~18)
 イエスの側近の弟子たち、十一弟子たちは復活の主イエスを礼拝した。しかしある者は疑った。「疑う」という語は絶対的な疑いではなく「ためらう」とも解することができる。心が揺れている状態である。イエスが復活して、生きておられことは疑えない。しかし、イエスを礼拝してもよいのかどうかと「ためらう」者がいた、ということなのかもしれない。私たちは礼拝しながら、いろいろためらってしまうことがある。それが私たちの実態なのかもしれない。
 しかし、イエスは「疑う者たち」「ためらう者たち」を「不信仰だ」と責めたり、「もうだめだ」と見放したりしない。かえって、イエス自ら歩み寄り、懇切に語りかけ、ご自分が復活して生きておられること、ご自分が神であり救い主であること、ご自分を信頼して良いことを悟らせてくださるのである。
 それゆえ、イエスを礼拝することから退かないようにしたい。教会で公にイエスを礼拝し、神を礼拝する。そして、個人で親密に、グループで親しく、イエを礼拝し続けよう。

Ⅱ イエス・キリストの臨在の中で、弟子としての歩みへと導く(28:19~20)
 イエスは「宣教大命令」を十一人の弟子たち、使徒たちに与えられた(19~20)。この命令の主文は「弟子としなさい」であり、その方法として「行って」「バプテスマを授けて」「教えて」が(分詞という形で)ついている。「人々をさらにさらに弟子として立て上げていきなさい」。
 第一に「行って、弟子としなさい」。イエスが疑う弟子に自ら近づいたように、自分の方から相手に近づいて行くのである。
 第二に「バプテスマを授けて、弟子としなさい」。人々に福音を語り、イエスの十字架と復活と顕現の事実を語り、「この気高い救い主が、いまも生きてわれらを救うのです」(『聖歌総合版』198)、イエスの救い)と証して、イエスに対する信仰へと導き、「バプテスマ(洗礼)を授けて」、教会の一員として迎え入れる。三位一体の神との愛の交わりの中に生きるようにしていく。
 第三に、聖書が教えていることを過不足なく教え、神を愛し、隣人を愛する愛の人として立て上げていく。

 私たちは主イエスの臨在を覚えながら、まず自分がますますイエスの弟子とされていくことを求め、その上で、あらゆる国の人が弟子となるように祈り、力を尽くしていく。