礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年12月18日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
       「インマヌエルと呼ばれる」    マタイの福音書 1:18~25

 「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」(Ⅰテモテ1:15)。

Ⅰ ヨセフの戸惑いと正しさ(1:18~19)
 ヨセフは婚約者マリアの懐妊に戸惑った。身に覚えがない。マリアが不倫を犯したと思った。彼はマリアをひそかに離縁しようとした。自分の方からマリアを捨てることで、非難はもっぱらヨセフが受けるようにともくろんだのである。ヨセフの愛ある本当の正しさがここにある。

Ⅱ「聖霊によって」 みごもったイエスは・・・(1:20~23)
 イエスはどのような方か。人の子・まことの人間、イスラエルの王ダビデの子孫、神の御子、主ヤハウェなる神ご自身、インマヌエル(神われ我らとともにいます)であられる方、すなわち、人のうちに住み込み、人と共におられる神、そして、罪なき聖なる方。

Ⅲ イエスは罪から救ってくださる救い主(1:21)
 「イエス」という名の意味は「主は救う」「救い主」。イエスは私たちの「罪からの救い主」、しかも三重の意味で、私たちの「罪からの救い主」であられる。
 第一に「罪の罰」からの救い主、私たちをご自身の十字架の贖いに包み込み、神の前での「義認」、罪の赦しを得させてくださる方(コロサイ1:14)。そして、神と平和のうちに交わることができるようにしてくださる方(ローマ5:1)。
 第二に「罪の力」からの救い主、聖化を推進してくださる方。聖霊において私たちに働き、信仰によってイエスに結ばれた私たちを、ますますイエスの死にあずからせ、ますますイエスの復活にあずからせ、ますます罪に死なせ、ますますきよめ、新しいいのちの歩みに、罪に勝利する生活へと生かしてくださる方(ローマ6:4~7、Ⅱコリント3:17~18)。
 第三に「罪の存在」からの救い主。イエスは復活した栄光の体をもって再び来られる「再臨」のとき、私たちに罪からの完全な解放を与えてくださる。もはや罪の存在しない全き状態に入れてくださる。私たちをイエスと同じ、罪も死もない栄光のからだに復活させ、罪からの救いを完成し、そして、完成された永遠の御国に入れてくださる (ピリピ3:20~21)。

Ⅳ インマヌエルなる主イエスをお迎えする(1:24~25)
 ヨセフは神が御使いを通して命じられたとおりマリア迎え入れ、マリアの胎内に宿る救い主をも迎え入れた。私たちも罪からの救い主イエス、インマヌエル(ともにおられる神)であられるイエスを心に、生活の中にお迎えしたい。インマヌエルの主イエスは、私たちのうちに住み、私たちのいろいろ難しい問題の中にともに住み込みながら、私たちの罪からの救い主としてともに生きてくださる。クリスマスはこのイエスを新たな思いでお迎えするときである。