礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年11月20日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
        「聖霊を悲しませないように」 エペソ人への手紙 4:29~32

 キリストに結ばれ、新しい人とされた私たちキリスト者は、日々、聖霊の働きを受け、新しき人の生き方をますます身に着けていく。

Ⅰ 悪いことばが口から出ないようにし、建て上げることばを語りなさい(4:29~30)
 「悪いことば」とは「人を傷つける言葉」(共同訳)。そのようなことばは実は「罪深い腐った心根」から出て来る悪い思いに由来する(マルコ7:21)。「もし口から出るなら、必要とされている、教会の建て上げに益となることばを語りなさい」。あらたまって語ることばではなく、私たちの普段何気なく語ることばが「恵みあることば」となるようにと願う。そのためにも、私たちがまず神の恵みのことばを聞く人でありたい。心に神の恵みのことばがいつも蓄えられていますように。
 「神の聖霊を悲しませてはいけません」(30)。「悪いことば」だけではなく、「偽り」(25)も「怒り」(26~27)も「盗み」(28)もみな「聖霊を悲しませる」罪。私たちは聖霊を大いに悲しませてしまう。そのような自分を悲しく思う。しかし、「あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです」(30)。私たちは必ず御国を受け継ぐ。ならば、召しにふさわしく、御国を受け継ぐ者にふさわしく歩むのが当然である。
 「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって神に向かって歌いなさい」(コロサイ3:16)。

Ⅱ 親切、優しい心、赦し合いの精神(4:31~32)
 「無慈悲」は文語訳聖書では「苦(にがき)」である。苦々しい思い、根に持つ恨みの心。相手をきっぱり赦したと思っても、「恨み」「苦き」「苦々しい思い」が心の底に残っていることがよくある。そこからその爆発としての「憤り」、復讐につながる根に持つ「怒り」(マタイ5:21~22)が生じる。「かの古い人」(罪を犯し堕落した代表アダム)に連なるあらゆる悪を「すべて捨て去りなさい」。大変なことだが、私たちが日々神から迫られていることである。
 「お互いに対してなりなさい(ありなさい)。親切な者に、優しい心の者に、赦しある者に。神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように」。この「赦しある者」とは、原語で能動態(「赦す者」)ではなく、受動態または再帰態であり、「赦されてある者」「赦されて今の自分、赦していくという自分にされた者」。「赦されながら、ますます赦していく者」である。神に赦され、ますます人を赦し、人からも赦され、ますます人を赦していく、そういう者である。「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します」(ルカ11:4、主の祈りの第五祈願)と祈り続ける者、この祈りに生き続ける者である。

 神はキリストにあって私たちを赦し、聖霊は私たちの罪を悲しみながらもとりなし続けていてくださる。それゆえ、私たちは三位一体の神の愛の中で、一切の悪意を除き去り、聖き道を歩んでいく。