礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年11月13日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝(子ども祝福礼拝)】  
               「ヨシヤ王」  列王記第二 22:1~20


 先祖たちの罪という負の遺産を引き継ぐ形で王位に就いたヨシヤ王の生涯を概観する。

Ⅰ 主なる神を求める若きヨシヤ王(22:1~2)
 8歳で王位を継いだヨシヤは、ダビデ同様「主の目」をいつも意識し、主なる神の御顔の前に生きようとした (2、詩篇16:8)。
 彼は16歳の時「父祖ダビデの神を求めることを始め」た(Ⅱ歴代34:3)。偶像に満ちたこの国の現状を大いに憂い、その解決を「神に」求め始め、同時に「神を」慕い求め始めた。問題に直面することは、神を知り、神と交わることへの大きな招きなのである。
 ヨシヤはその4年後、20歳の時、いよいよ宗教改革に着手する(Ⅱ歴代34:3)。南王国ユダと都エルサレムから偶像を取り除くことを始めた。宗教改革第一弾である。

Ⅱ 律法の書に心動かされるヨシヤ王(22:3~20)
 ヨシヤが26歳のとき、彼はそれまで祖父と父の時代にないがしろにされていた神殿を修復し、神殿での主への礼拝を回復しようとした。神殿修復の過程で、神殿の至聖所にある契約の箱の脇に置かれていたはずの「律法の書」(たぶん「申命記」)が発見された(8)。
 律法の書はヨシヤ王の前で朗読され(10)、彼はそれを昔の古文書ではなく、生ける神のみことばであると受け取った。すでに国内から偶像が一掃されつつあり、神殿修復も順調に進んでいたが、そのような中で主のことばが朗読されたとき、主の憤り(主の悲しみ)を知り、ヨシヤは衣(心)を裂き、主の御前でへりくだり、主の御前で泣いた。罪を思い知り、主を悲しませていることを嘆き、主のあわれみにすがり、なお主を信頼して、あらためて主のみこころに従うべく一歩踏み出そうとした。自分は相当よくやっているという自負や高慢さはない。
 ヨシヤのこのような主の御前での真実な姿勢は、彼の行動力と人々へのインパクトとして結実していく。

Ⅲ ヨシヤの大宗教改革とヨシヤの死(23:1~30)
 宗教改革第二弾が始まった。まず、ヨシヤは主のあわれみにすがり、民を神殿(主の御前)に集め、律法の書を読み聞かせ、主との契約のことばを実行し、心を尽くして主に従い抜くことを民とともに誓い合った(23:1~3)。
 そして、エルサレムとユダ全域、さらには、すでにアッシリア帝国領になっていた、かつての北王国イスラエルの地域に至るまで、あらゆる偶像とその施設を取り除いた(4~20)。さらに、ヨシヤは過越の祭りを全イスラエルの民とともに大々的に祝った(21~23、Ⅱ歴代35:1~19)。
 ヨシヤの宗教改革の特徴は、① みことばに従ったもの ② 全人格でのもの(心・たましい・力を尽くして) ③ 主に立ち返るもの、すなわち、主にしっかり向き合うことを目指したもの。④ そのために、主と民を結びつるもの(過越)をととのえ、主から民を引き離すもの(偶像…)を捨て去った。恵みの手段(みことば、礼典、祈り)を整え、偶像(自分の中にある神よりも大事なもの)を捨て去って行く。
 私たちもたえず、そのような方向で、自らを改革させていただきたいのである。