礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年10月2日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
         「真理はイエスにある」   エペソ人への手紙 4:20~24


 「召しにふさわしい歩み」の根本原理的な勧め。「なすべき歩み」が肯定的に語られる。

Ⅰ 真理なるイエスに学ぶ(4:20~21)
 「真理はイエスにあるのです」(21)。キリストはまず、「教理」において真理であられる。私たちが信じるべき本物がキリストにある。さらに、キリストは「道徳、倫理」「人としての生き方に」おいても真理であられる。キリストにこそ、人としての本物の生き方がある。
 それは、へりくだって、神に仕え、隣人を愛し、自分を与えていく生き方である。私たちキリスト者は、聖書に聞き、聖霊に導かれ、祈りつつ、みことばと聖霊において臨在されるイエスとの交わりの中で、イエスとともに神の御前で生きながら、キリスト者としてのふさわしい歩み方(召しにふさわしい歩み方)を身につけていく。

Ⅱ マタイの福音書 22章1~14節にある「礼服のたとえ」
 礼服は人々を招く王の側が用意していた(Ⅱ列王10:18~27)。礼服を着ずに披露宴に入って来た人は、「私の服の方がずっと良い」と考えた。キリストなしで神に近づく資格があると自己過信した。それで彼は神の国から締め出された。私たちが着るべきは「キリスト」である。

Ⅲ イエスに学んだことで、たえず思い出すべきこと(4:22~24)
 イエスに学んだはずの「真理とは何か」が語られる。「古い人を脱ぎ捨てること」と「新しい人を着ること」。これは命令ではない。キリストに聞き、キリストに学び、キリストにあって教えられたならば、今現に起こっていることである。「古い人をすでに脱ぎ捨て、今や新しい人を着ている」。これがキリスト者の現実である。
 この「新しい人」とはキリストのこと。「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです」(ガラテヤ3:27)。「古い人」とは、人類の最初の代表「アダム」のこと(Ⅰコリント15:45,47)。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)。
 だからこそ「名実ともに」キリストらしく歩むのである。イエスの生き方を生きていく。キリストをしっかり着こなすことを求めていく。
 私たちは聖霊によって信仰を通して、「真理に基づく義と聖をもって神に創り出された」まことの人であるイエスに結ばれ、イエスを着せられた。そして、イエスの御霊、聖霊によるきよめに日々あずかりながら、イエスに似たものに、「神のかたち」が満ちあふれる者へと、少しずつ少しずつ(漸進的に)再建されていく。