礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年9月4日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
      「キリストにあって、愛のうちに建てられる」 エペソ人への手紙 4:14~16


 本日の箇所は、教会が「究極の姿」(13、皆がキリストをよく知り、互いに賜物をささげて仕え合い、苦難を通してキリストの臨在といのちがあふれる共同体となっている姿)を目指して進む過程において起こること、教会の中に働く神のみわざが述べられている。

Ⅰ もはや子どもではなく、あらゆる点においてキリストに向かって成長する(4:14~15)
 「子ども」は社会性が未成熟で自己の興味だけで動いてしまい、ばらばらで一致することができない。子どもはだまされやすい。教会の聖徒一人ひとりが霊的に「子ども」のようであり、それゆえ教会それ自体が「子ども」の状態であるなら、偽物の福音を語る偽教師、福音と似て非なるこの世の教えに容易に惑わされてしまう。
 それゆえ、教会はいつも究極の姿を目指して前に進んで行く必要がある。みことばの務めをする教役者たち(11)が本物の福音(その中心は十字架と復活の生けるキリスト)を愛をもって語り続け、聖徒たちが純粋な福音を聞き続けて整えられ、各自に与えられた賜物をささげ用いて愛し合い、仕え合っていく必要がある。
 キリスト者の成長も教会の成長もあらゆる点において「キリストに向かう」ことにある。キリストを仰ぎ、キリストに向かって日々歩み続けていく中で、キリスト者も教会もますますキリストらしくなっていく。

Ⅱ キリストとの結合、聖徒同士の互いの結合、しかも、愛による結合によって(4:16)
 教会がキリストのからだとして、キリストの満ち満ちたさまにまで成長するために最も大切なことは、キリストにつながり続けることである(ヨハネ15:4~5)。とともに、キリスト者同士が互いにしっかりつなぎ合わされることである。教会における聖徒同士のつながり、すなわち「あらゆる節々」が大切である。愛をこめてあいさつし、祈りに覚えることから始めたい。
 「愛のうちに建てられる」(16)とあるが、成長・成熟の源である方、教会のかしらなるキリストに私たちをますます結びつけるのも、聖徒同士をむすびつけるものも「愛」である。キリストとの結合、そして、聖徒同士の互いの結合、しかも、愛による結合、そのような結びつきを通して、キリストのからだなる教会にキリストの愛といのちがますます豊かに通い、キリストのからだなる教会は神の愛が満ち満ちる共同体として永遠に建ち上がっていく。私たちはその栄光の教会を仰ぎ見ながら歩んで行く。

 キリストのからだなる教会(聖徒の交わり)の中に活かされていることを感謝したい。それはキリストに活かされることであり、キリストの愛に活かされることである。それは御国の栄光を望み見ることであり、キリストのいのちにますます活かされ続けていくことである。そのような恵みの中に、イエス・キリストは私たちを招いてくださった。主イエスの愛の招きに感謝したい。ヨハネ15:5,9,11。アーメン。