礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年8月7日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
         「キリストの満ち満ちた身丈にまで」 エペソ人への手紙 4:11~13


 キリストは、各自にお与えになった賜物が真に生かされるために、教会に教役者をお立てになった。

Ⅰ 福音のみことばを聞くことが大切 ~キリストが教役者がお立てになった~(4:11)
 福音のみことばの務めを担う教役者は、キリストから教会に与えられた、皆に奉仕する「しもべ」である。
「使徒」と「預言者」はイエス・キリストの福音という新しい啓示(旧約でも暗示的・予告的に語られてはいたが)を広く世に取り次ぐ者たちであり、新約聖書が完成するまでの時代にのみ存在した。「伝道者」も福音を広く伝える者。「牧師また教師」は一つの職務であり、一つの地区教会の聖徒たちを教え養っていく。
 信仰を通して神のわざがなされる。信仰は常にキリストの福音を聞くことによって湧き出す。それゆえ、福音のみことばを聞くことが大切。それなしに奉仕するなら、いつか必ず倒れてしまう。

Ⅱ 聖徒たちを整えて、キリストのからだを建て上げる ~教役者の目的~(4:12)
 教役者の役割は、福音のみことばを語ることを通して、第一に「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ」(直接の目的)、第二に「キリストのからだを立て上げる」(究極の目的)こと。
 福音のみことばを聞くことによって、「奉仕の働き」のための愛が燃やされる。
 「キリストのからだを立て上げる」とは、教会が成長し、成熟し、完成すること。教会にキリストが生きて臨在しておられることがますます明白になり、一人ひとりに実感され、すべての人の目にも明らかになっていくことである。

Ⅲ 教会が「キリストの満ち満ちた身丈にまで」達する ~教会の究極的姿~(4:13)
 「キリストのからだを立て上げる」ことが達成されたときの教会の姿が述べられる。それは最終目標である。だから、教会はそこを目指して前進し続ける。
 まず、キリストのからだなる教会に連なるすべての聖徒たちが一人の例外もなくみな「神の御子に対する信仰と知識において一つとなる」。キリストを知的に、人格的に、体験的に、交わりの中で深く知る。また、キリストのからだである教会共同体、そして公同の教会が、あたかも「一人の成熟した大人」のようになる。それぞれの賜物を用いて仕え合い、教会的な一体性をいかんなく発揮する。
 そして「キリストの満ち満ちたさまという成熟度にまで達する」。キリストのいのちが最高度にあふれる教会、苦難を通していっそう愛の光が輝く「栄光の教会」(5:27)となる。それはこの世においては完成しないが、キリスト再臨の日に向けてそのようにされていく。

 私たちは絶えず吟味したい。教会が、教会の究極的姿にどれだけ近づいているかを。パウロが個人の生涯における成熟について言っていることばは、そのままキリストのからだなる教会にも当てはまるであろう。
 「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追及しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、・・・目標を目指して走っているのです。ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。・・・私たちは到達したところを基準にして進むべきです」(ピリピ3:11~16)。