礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年7月24日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
            「エルサレム会議」      使徒の働き 15:1~35


初代教会の伝道、信仰生活、教会形成に大きな意味を持つものなったエルサレム会議の記録である。

Ⅰ エルサレム会議の発端(15:1~5)
 ユダヤ人と異邦人からなるアンティオキア教会に、ユダヤ主義キリスト教の伝道者が入り込み、モーセ律法とりわけ「割礼」の必要性を説き、割礼を救いの条件とし、異邦人キリスト者たちを混乱させた。パウロとバルナバをはじめアンティオキア教会は、このことが全教会的な根本問題であると理解し、エルサレムにおける「使徒たちや長老たち」(2,6)による全教会的会議の開催を求めた。
 使徒を含めた長老たちはエルサレム教会にともに集い、会議を開き、主イエスの御名のもと、みことばと聖霊の導きによって、大切な原則をともに確認しようとした。

Ⅱ ペテロの意見 ~主イエスの恵みによって救われる~(15:6~12)
 会議の議題は「救いのために割礼やモーセ律法の遵守が必要か否か」。激しい議論があった後、ペテロが意見を述べた。
 彼がコルネリウスの家に集まった異邦人たちに福音を語ったのは、神のご意思であった。その福音を異邦人が信じるようにされたのも神ご自身であった。しかも、神は「異邦人にも聖霊を与え」、割礼を受けていない異邦人の救いの確かさを証明された。このことは、割礼なしに彼らを救おうという神のご意思の現れである。
 しかも、律法を持つユダヤ人も「主イエスの恵みによって救われた」のである。だから「先祖も私たちも負いきれなかった律法のくびき」を異邦人の首に掛けることは、神を試みること以外の何ものでもない、と。

Ⅲ ヤコブの意見 ~重荷に悩ませないように~(15:13~21)
 会議の最後に、エルサレム教会の指導者である主の兄弟ヤコブが発言し、最終提案をする。
 「救いはただ主イエスの恵みのみ、信仰のみによる」という福音の原則とともに、「重荷に悩ませないように」という配慮を彼は語る。ヤコブはアモスの預言(アモス9:11~12)が語るイスラエル王国の再興は、異邦人伝道と異邦人の改宗を予告するものであり、異邦人が主の民に加えられることは「昔から」(18)一貫して変わらぬ神のみこころである。それゆえ「神に立ち返る異邦人を(律法という)重荷で悩ませないように」という配慮を説く(13~19)。
 とともに、「ともに生きるユダヤ人キリスト者を重荷で悩ませないように」という愛の配慮も説く(20~21)。「偶像に供えて汚れたもの」「淫らな行い」「絞め殺したもの」「血」の4項目だけは避けるようにと、異邦人キリスト者に、ユダヤ人キリスト者たちをつまずかせない配慮を求めた。

Ⅳ エルサレム会議の決議の周知(15:22~35)
 ヤコブの最終提案が受け入れられ、会議の決定となった。この決議は書簡により、また、ユダとシラスという預言者(説教者)によって、アンティオキア教会、さらには異邦人諸教会に伝達された。
 異邦人キリスト者たちは避けるべき4項目を、福音によって慰められた心で、自由な思いで、「愛の重荷」として負っていったのである。「重荷に悩まないように」といつも私たちを配慮してくださる主イエスとともに(マタイ11:28~30)。