礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年7月17日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
        「すでにある一致の宣言」 エペソ人への手紙 4:4~6

パウロは「一つ」を7回重ね、教会にすでにある「完全なる」一致を宣言する(4~6)。

Ⅰ からだは一つ、御霊は一つ、召しの望みは一つ(4:4)
 「からだは一つ」。この「からだ」とは「聖なる公同の教会」。私たちはみな、キリストという一つの「かしら」につながる「一つ」からだの各部分。それぞれが絶対必要な存在。互いに依存し合い、生かし合っている存在(Ⅰコリント12:20~21)。
 「御霊は一つ(ひとり)」 。聖霊はただひとり。私たちに神の「聖さ」と神の前での私たちの「罪深さ」に目を開く(ヨハネ16:8)。だから私たちは謙遜にならざるを得ない。聖霊は私たちに救い主であるイエスを指し示す。そして、キリストを賛美させる(ヨハネ16:14)。
 「召しの望みが一つ」 。私たちは「どこから召されたか」に思いが向きやすい。むしろ、「どこに向けて召されたか」に心を向けなくてはならない。最終的にすべてのキリスト者たちが主イエスの御前に立ち、そして主の御姿に似るように完全に回復され、そして永遠の御国を完全に受け継ぐ。この共通の望みの栄光に焦点を当てる時、一致が豊かにされる。

Ⅱ 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ(4:5)
「主は一つ(ひとり)」。「私たちはこのお一人の「主」であるイエスにいつも心を向け、この方と交わっていく。そして、イエスに罪赦され、イエスとともに兄弟姉妹を愛していく(ヨハネ13:1~15)。そうすることにより、教会の一致がますます豊かにされていく。
 「信仰は一つ」。十字架と復活のイエスを救い主とし、ひたすらイエスに信頼していく。この共通の信仰を堅持する時、キリスト者同士の一致もますます堅くされていく。
 「バプテスマは一つ」。バプテスマ(洗礼)のやり方はいろいろあるが、本質は一つである。聖霊によってキリストに結ばれること、聖霊によって天のキリストに結ばれている共同体(キリストのからだなる教会)に加えられること。バプテスマは一致のための礼典である。

Ⅲ すべてのものの父である神は一つ(4:6)
 父である神は一つ」。父なる神は、特に教会とキリスト者「すべてのものの上にあり」「すべてのものを貫き」「すべてのもののうちにおられる」。父なる神は、神の子どもたされた私たちの内に救いのご計画のすべてを確実に成し遂げてくださる。この確信が私たちをますます一つにしていく。私たちは声と心を一つにして言う。「この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」(ローマ11:36)。

 「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい」(2~3)。なぜなら、「からだは一つ、御霊は一つ。あなたがたが召された、その召しの望みが一つ。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。(あなたがた)すべてのものの父である神は一つ。この神が(あなたがた)すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる」からである。アーメン。