礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年7月10日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
     「召しにふさわしく歩みなさい」 エペソ人への手紙 4:1~3

 エペソ書の前半部では「福音的教義」が扱われた。後半部では「実践的倫理」が扱われる。

Ⅰ 「ですから」(4:1)
 1~3章では、私たちがあずかった驚くばかりの救いの栄光、恵みの栄光を確認した。それほどまでの素晴らしい恵み、救いをいただいたの「ですから」、「召されたその召しにふさわしく歩みなさい」(4:1b)。ですから「歩みなさい」、実践しなさい、生きなさい、というのである。

Ⅱ 「召されたその召しにふさわしく歩みなさい」(4:1)
私たちキリスト者は神によってキリストへと召された。キリストに結合された(Ⅰコリント1:9)。キリストを通してますます神を愛していく。しかも、私たちはともにキリストのからだなる教会に生きるように召されている。教会として神を愛して生きる。
 私たちもキリストの囚人なのである。キリストの「しもべ」である。召しにふさわしく生きるとは、キリストに捕えられたキリストの囚人として生きるということ。ある人曰く「私たちは、かつてサタンの虜であったが、いまは、キリストの囚人である。キリストを喜ばせるために、出し惜しみしてはならない。」

Ⅲ 「平和の絆において御霊の一致を保つことに努めつつ」(4:2~3)
 キリスト者の「一致」、教会における「一致」はとても大切である。一致は神の大きなご計画の中にある(1:10)。一致こそ他の事柄にまさって神の栄光を現わすものである。
 「御霊の一致」を造り出すようにとは言われていない。「御霊の一致」はすでに教会(聖徒の交わり)に与えられている。イエスを信じたキリスト者一人ひとりの中には御霊(聖霊)が内住しておられ、ひとつの御霊がキリスト者同士を結んでいるからである。だから、キリスト者の一致をおおい隠したり、汚したり、傷つけたり、ゆがめたりせず、「御霊の一致を保つ」ために努めていくことが大切である。
 そのための主要な方法が「平和のきずなにおいて」ということ。一致のためには、何よりも平安の源であるキリストにしっかりとどまり、聖霊に働き続けていただくことが肝要である。
 その上で、御霊による一致を壊さないため、聖霊による一致を保つためには、「謙遜」「柔和」「寛容」「愛をもって互いに忍び合うこと」が私たちに求められる。

 「すべての謙遜と柔和をもって、寛容をもって、愛をもって互いに忍び合いつつ、平和の絆において御霊の一致を保つことに努めつつ、神の召しにふさわしく歩んでいく」。これら地味なことの中にこそ、栄光があり、力があり、成長があり、恵みがある。