礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年6月19日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
      「人知を超えたキリストの愛」 エペソ人への手紙 3:14~19


 本日の箇所を含む3:14~21はエペソ書前半部のしめくくりの個所。パウロの祈りである。

Ⅰ 膝をかがめて、御父の前に祈る(3:14~15)
 「御父の前に膝をかがめます」(14節の直訳)。これは真の礼拝者の姿。祈る時の私たちの心の姿勢は、神に対する謙遜と崇敬の念を抱き、神の御前にひれ伏すものでなければならない。

Ⅱ キリストに向けて強められ、キリストが心に内住してくださいますように(3:16~17a)
 パウロが御父に祈っている第一のことは、「キリストに向けて強められ、キリストが心に内住するように」ということ。
 「内なる人」は「かのひとりの内なる人」、私たちの内に聖霊において住んでおられるキリストのことである。このキリストに向けて私たちの信仰(キリストを慕う思い)が強められ、キリストの似姿へと成長していきますように。また「すでに私たちの心のうちに住んでおられるキリストにますますしっかりと住んでくださいます」ように。
 キリストが私のすべてをますますご支配くださり、キリストの存在がますます私の内で大きくなるように、とパウロは祈る。

Ⅲ 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように(4:17b~19a)
 パウロが御父に祈っている第二のことは、私たちキリスト者がキリストの愛を知ることができるようにということ。すでに私たちを捕らえているキリストの愛を、私たちがもっと知り、十二分に味わい知り、全人格で、体験として、圧倒されるほどに思い知ることができるようにと祈っている。 
 キリストはご自身の生涯と十字架と復活と昇天を通して獲得されたすべての救いの恵み(罪の赦し、永遠のいのち…)をご自分もろとも私たちに差し出し続けておられる。ここにキリストの愛ある。
 そのキリストの愛は「人知をはるかに超えている」。しかし、キリストの内にあって、キリストとの交わりの中で、また、教会生活、聖徒の交わりの中で愛されながら、キリストの愛は体験的に知り続けることができる。もちろん、神の力、聖霊の働きによってであるが。私たちは愛を深く知ることを通して、愛する者へと成長させられていく。

Ⅳ 神のプレーローマ(充満)にまで満たされるように(4:19b)
 パウロが御父に祈っている第三のことは、「神のすべてのプレーローマ(充満)にまで」(直訳)「あなたがたが満たされますように」ということ。「神のすべてのプレローマ」とは、究極的にはキリストご自身のことである(コロサイ1:19、2:9~10)。
 私たちがますますキリストを慕い求め、キリストと一つにされながら、「キリスト者一人ひとりが、また、キリストのからだなる教会が、キリストと同じほどに愛に満ち、いのちに満たされるまでに至りますように」とパウロは祈っている。
 それは完成の日に確実に実現する。だから私たちも祈る。膝をかがめ、希望をもって祈り続ける。