礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年6月5日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝(聖霊降臨日)】
                  「聖霊がくだる」 使徒の働き 2:1~47

 本日は聖霊降臨日(ペンテコステ)である。私たちは「我は聖霊を信ず」との信仰告白を新たにし、聖霊を慕い求めたい。
 
Ⅰ 約束の聖霊(2:1~13)
 イエスが約束された聖霊降臨(ヨハネ15:26~27a、使徒1:8)を待ち望みながら、120名(1:15)の弟子たちが一つ所で祈っていた。
 五旬節の日、聖霊がその弟子たちの群れに降臨し、一人ひとりが聖霊で満たされ、いろいろな国ことばで「神の大きなみわざ」、キリストの生涯と十字架と復活と昇天についての良き知らせ(福音)を語り出した。
 バベルの塔の事件(創世11:1~9)の真逆のことが起ころうとしていた。ことばの壁を越え、人々は福音を信じ、キリストにあって一つの共同体(聖なる公同の教会)に集められていく。教会の新しい時代の幕開けである。集まっていたユダヤ人たちはみな驚き、怪しんだ。

Ⅱ ペテロの説教(2:14~35)
 ペテロはヨエル2:28~32を引用して語る。「終わりの日々」(直訳、新約時代)の特徴は聖霊の著しい働きにある。信じるすべての者に聖霊が注がれ、皆が預言する。「預言」は神のことばを預かり語ること。神のことばの中心である福音を語ること。それゆえ、説教、みことばを教えること、説教を真剣に聞くこと、福音と福音の恵みを語り合うこと、賛美もすべて預言である。どんな場合も、聖霊を注がれ、聖霊に満たされて、語り、聞き、歌わなければ、力も恵みもインパクトもない。 
 ペテロはさらに、ヨエルが語っている救いと回復をもたらす「主」はナザレのイエスのことだと語る。神はイエスによって力あるわざと不思議としるしを行われ、それによって、このイエスがメシア(キリスト、神が約束した救い主)であることを証しされた。しかし、ユダヤ人たちはこのイエスを十字架で殺してしまった。けれども、神はイエスを死から解き放ってよみがえらせ、天に上げ、ご自身の右に着かせられた(22~35)。このイエスがいま、天から聖霊をお注ぎになった。これが事の真相(33)。しかし、イスラエルの全家はこのイエスを十字架につけてしまった(36)。

Ⅲ 教会のリニューアルオープン(2:36~47)
 聖霊が聞いた人々の心の底にペテロのことばを届け、心を動かした。「私たちはどうしたらよいのでしょうか。」(37)。ペテロは答える。悔い改め(方向転換)、イエスへの信仰、救い(罪の赦し、永遠のいのち)を受け、その証しとして洗礼を受け、キリストのからだ(教会)に加えられ、聖霊に導かれる信仰生活へと進みなさいと(38)。
 このペテロの招きに人々は応答し、その日、3000人がイエスを信じてバプテスマ(洗礼)を受け、教会に加えられ、聖霊による歩みを始めた。
ここに聖霊に導かれた教会生活の様が描かれている(42~47)。 

 人は「信仰によって約束の御霊(聖霊)を受ける」(ガラテヤ3:2,14)。しかし、聖霊は教会生活の中でこそ生き生きと働く。聖霊は教会と聖徒の交わりを形成し、生かす霊である。
 「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり・・・を信ず。」(使徒信条)
 「来たりたまえ、造り主なる聖霊よ。」(古代からの祈り)