礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年5月29日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
        「キリストの測り知れない富を」 エペソ人への手紙 3:7~9


 「神は測り知れない大いなることを」なさる(ヨブ5:9)。私たちは生涯かけてそれを味わう。

Ⅰ 福音に仕える者にしていただいた(3:7)
 パウロは福音に「仕える者」(ディアコノス)にされた。福音の給仕人の使命を与えられた(参照:使徒6:1~6、マルコ6:32~44他)。いつもイエスのもとに行き、福音のことばを聞いて、味わい、その上で人々に福音(キリストについてのよき知らせ)を分配給仕する。その使命が与えられたのは、パウロの人間的な何かによったのではなく、ただ神の恵みと神の力によった。
 私たちキリスト者もそうである。いまも変わらず、神の恵みがあり、神の大きな力が働き続けている。だからいつもイエスのもとで福音を味わいながら、福音の給仕としての務めを喜んで続けていく。

Ⅱ 最も小さな私に、キリストの測り知れない富がゆだねられた(3:8)
 「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私」。このような意識は他人との比較の中からは生まれない。聖なる神の前に立ち、自分の罪深さを思い知らされ、しかもキリストの十字架の前に立って、神の御子が人となって十字架でさばきを受けて死ななければならなかったほどに自分の罪が重大だと知らされ、その罪がキリストの十字架の贖い(身代わりの裁きによる償い)のゆえにまったく赦されており、そればかりか永遠のいのち、神の子どもとしての身分と特権さえ与えられている。そのような自分に不相応なほどの巨大な恵みに圧倒されてはじめて、自分は最も小さな者、「罪人のかしら」(Ⅰテモテ1:15)という思いが湧き上がってくる。
 その彼に「この恵みが与えられた」。福音の給仕人として「キリストの測り知れない富」を人々に提示し、それにあずかるように導く使命が与えられた。ただ光栄、ただ感謝。神は自分の小ささ、罪深さ、貧しさを知った者にみわざと奉仕を喜んでおゆだねになる。

Ⅲ 奥義の実現がどのようなものかを明らかにする務め(3:9)
 パウロが福音の給仕人としての使命をいただいたのは、「万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものなのかを、すべての人に明らかにするため」でもあった。
 異邦人も神の救いにあずかり、ユダヤ人とともに、キリストにあって、まったく新しい共同体、「聖なる公同の教会」を形成するという奥義。その隠されていた奥義が、ついに時が満ちて、神の救いの歴史の管理の中で現実のものとされるに至った。この事実をパウロは自身の宣教と教会形成と教えとをもって、ユダヤ人にも異邦人にも明らかにしたのである。

 この世の裂け目は大きくなるばかりに見える。しかし、神の救済史の管理運営の中で、私たちの思いをはるかに超え、驚くべき形で神の国は完成する。栄光と希望はただ神にあり。