礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年5月15日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
       「キリストの奥義」  エペソ人への手紙 3:1~6


 パウロは1:17~19で祈りをささげたが、3章に入り再び祈りをささげようとする(1)。しかし、どうしても語りたいことがあり2~13節を挿入。14節に至ってやっと祈りを開始する。

Ⅰ キリスト・イエスの囚人、異邦人のために(3:1)
 パウロは自分のことを「キリスト・イエスの囚人」と言う。4:1では「主にある囚人」(4:1)と呼ぶ。「主にある囚人」とは、「主(イエス)の中にいる囚人」。
 彼はキリスト・イエスという獄に閉じ込められていた。彼はローマの獄中にあって外見上は不自由であったが、キリストとの親しい交わりの中で、生ける三位一体の神との愛にある交わりの中で、霊的には完全に自由であった。「キリスト・イエスにあって、・・・ともによみがえらせ」られ、「ともに天上(神の御前)に座らせ」られていたのである(2:6)。
 主にある囚人は、主にある霊的自由人なのである。それゆえ、パウロはどこにおいても、できる限りの方法をもって、喜びをもって、キリストの福音を語り続けることができた(Ⅱテモテ2:9)。
 私たちもまたキリストに捕らえられ、キリストにつながれたキリスト・イエスの囚人である。

Ⅱ キリストの奥義(3:2~6)
 「奥義が啓示によって私に知らされました」(3) 。「奥義」(ミュステリオン)とは、隠されている秘密のこと。しかし、新約聖書で「奥義」とは、隠されていたけれども時至って神によって開かれ、人々に明らかにされる、そういう奥義である。
 「この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでした」(5)。「前の時代」、旧約時代でも、神の祝福がユダヤ人に対してと同様、異邦人に及ぶということは、創世記12:3のアブラハムに対する約束以来、繰り返し語られていた。しかし、旧約時代には知らされていなかったこともある。それこそが「キリストの奥義」。旧約の中で約束されていたこれらの福音の祝福が、神の恵みという共通した基盤に基づいて、キリストによって、ユダヤ人信者と異邦人信者が、ともにキリストのからだの同じ器官として一つに結び合わせられ、「新しいひとりの人」(2:15)を造り上げる。一つのキリストのからだ、聖なる公同の教会ができる。このことは前の時代には人の子らには知らされていなかった。
 しかし今やこのことは「御霊によって、聖なる使徒と預言者たちに啓示されています」(5)。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、もろもろの国びと(異邦人・エスノスとは諸国民の意味でもある)は、ともに御国の相続人となり、ともに一つからだとなり、ともに約束(聖霊の約束、1:13)にあずかる者になるということです」。この「キリストの奥義」の新しさをかみしめたい。

 私たちは互いの存在を「キリストの奥義」の現われとして心から喜び合っていきたい。