礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年5月8日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
     「神の家族、神の御住まい」  エペソ人への手紙 2:19~22


 パウロはユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の一致、教会におけるキリスト者の一致を表現するために、キリスト者の特権と責任を考えるために、三つのイメージを用いている。第一は、国家と国民、都市と市民のイメージである。第二は、家族のイメージである。第三は建物と素材(石)、神殿のイメージである。

Ⅰ 聖徒たちと同じ国の民(2:19)
 旧約聖書において「聖徒」とは、もっぱらただ一つの民族(ユダヤ人)に属する者にだけ用いられた。しかし、キリストが隔ての壁を打ち壊した。異邦人もユダヤ人もキリストを信じるなら、キリストにあって神の聖なる民となる。
 「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自身の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています」(Ⅰペテロ2:9~10)。
 キリストを信じた私たちは、キリストという一人の王(牧者)のもとに置かれている。いかに幸いなことだろう(詩篇23篇)。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」(詩篇23:1)。

Ⅱ 神の家族(2:19)
 キリストを信じる者はみな、神の息子・神の娘(ガラテヤ3:26)。私たちは「神の相続人であり、キリストとともに共同相続人」(ローマ8:17)。
 私たちキリスト者は互いに「神の家族」。聖霊がみなに与えられている(ローマ8:15)。聖霊がいわば神の家族のいのちである。いのちのつながり、聖霊によるつながりがある。
 だから、神の家族であるキリスト者同士、教会には聖霊による一致がすでにある。「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい」(4:2~3)。

Ⅲ 聖なる宮、神の御住まい(2:20~22)
 土台は使徒と新約の預言者たち、一番大切な要の石はキリスト。ひとりひとりが土台としっかりつながるとき、教会は堅固でたしかな一致がある。使徒が伝えた福音の教理を保持し、キリストを信頼することである。
 神が教会を(地区教会も公同教会も)建て上げていく。時間がかかる。神は私たちひとりひとりを選ばれた。私たちは人間的な大きさも形も違う。能力も個性も違う。しかし、みなが大切である。しかも、そのままではだめなので、槌とのみで削られていく。神は様々な試練を通して、私たちを削り整えていく。そうして、それぞれのふさわしい位置に置いていき、教会は神がゆたかに臨在する宮へと成長し、終末に至る。

 私たちは神の国の民、天国人。永遠の御国を受け継ぐ。
 私たちは神の息子、神の娘、神の家族の一員。神との親しい交わり、いのちの交わりの中で日々成長していく。
 私たちは聖なる宮、神の御住まいに築き上げられていく一つの石。キリスト信仰に生き、正しい福音の教理を堅持しつつ、さらなるきよさを目指して進んで行く。小さいけれども、神に愛され、神によって形づくられながら、神を内に宿す聖なる共同体の中に永遠の居場所を持っている。
 私たちの前に開かれている光景は何と栄光に富んだものだろう!