礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年5月1日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
      「キリストこそ私たちの平和」  エペソ人への手紙 2:14~18


 キリストによる神との和解が、キリストにあるユダヤ人と異邦人の間に平和をもたらす。

Ⅰ キリストはユダヤ人と異邦人の隔ての壁を打ち壊した(2:14~15a)
 ユダヤ人と異邦人の間には常に敵意という「隔ての壁」があった。しかし、キリストはご自身のからだを十字架の上でいけにえとしてささげ、血を流すことによって、二つの人種間の敵意、戦争状態を打ち壊してしまった。十字架は第一義的には神と人との和解のためにある。神は十字架のキリストにおいて私たちの罪をさばき、罪人である私たちと和解してくださった。神はキリストの十字架の犠牲のゆえに、私たちの罪を赦し、私たちを受け入れてくださる。十字架は神と人との和解のためにこそある。
 神と人との和解がなるとき、人と人との和解も道が開けていく。人と人との間の敵意という隔ての壁が取り払われていく。神との平和ができると、人と人との平和も育っていく。

Ⅱ キリストは両者を新しい一人の人、一つのからだとし、平和を福音された(2:15b~17)
 キリストはご自身を信じるユダヤ人と異邦人を「新しい一人の人」に造り上げる。「新しい人」とは、その中にあってユダヤ人と異邦人が和解させられている新しい共同体のことである。「新しい創造」(ガラテヤ6:15)である。そこに連なる者たちが互いに結ばれ、一つの有機体として見られているキリスト者の共同体、愛の交わり、すなわち、教会のことである。
 「新しい」というのは、自分の力によってではなく「恵み」によって、キリストのいのちによって生かされ続けるということでもある。
 教会は和解と平和を身をもって生きながら、キリストにある和解と平和を福音として世に伝えていく。なぜなら、キリストご自身が聖霊において私たちのところに来ておられ、聖霊において私たち教会と神の民に臨在しながら働き、私たちと世に対して平和を福音し続けておられるからである。

Ⅲ 救いの究極目標は御父に近づく神礼拝(2:18)
 「御父に近づく」くこと、すなわち、神礼拝こそが救いの究極目的である。黙示録を見れば、神の国、天の御国は賛美の世界、礼拝の世界であることがわかる。キリストが神との平和をつくり、人と人との平和をもたらしたのは、キリストにある者が一つになって神を礼拝するためである。
 キリストは今でもとりなし手、御父への道であり、聖霊は私たちに礼拝の心を与え、礼拝の思いを掻き立て、御父へと向かわせてくださる(ピリピ3:3)。

 私たちは礼拝において御父に大胆に近づきながら、キリストの平和をますます実感していく。