礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年4月17日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝(復活日)】
         「イエスの復活」 マタイの福音書 27:62~28:15

 イエスは死からよみがえり、今も生きておられ、今日も私たちに出会ってくださる。

Ⅰ イエスが復活したことは事実である
 イエスが葬られた墓を番していたローマ兵たちも「からっぽの墓」とイエスがよみがえられたという「御使いのことば」を聞いた。彼らはこれ以上ない近さでイエスの復活の出来事に触れた。しかし、ユダヤの宗教指導者たちは、ローマ兵たちに多額の金をやり、「弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った」と噓の情報を流させた。
 ユダヤの宗教指導者たちもイエスの復活を疑わなかった。ただその事実が自分たちの立場をますます不利にすることを恐れた。敵対者たちがこのように裏工作し、嘘を広めたことは、かえって実際に起きたイエスの復活の事実を証明するものとなる。

Ⅱ 生きておられる主イエスと出会うことを期待して
 「週の初めの日」の明け方、女たちは「イエスに油を塗りに行こうと思い」(マルコ16:1)、イエスの墓にやって来た。彼女たちが捜し求めていたのは「十字架につけられたイエス」、「十字架につけられて、いまは亡骸となって墓に葬られているイエス」であった。ところが御使いは言う。「ここ(墓)にはおられません。…よみがえられたのです」(6)。
 彼女たちは「空っぽの墓」と「御使いのことば」(6)によって、イエスが死からよみがえり、今も生きておられることを信じた。そして彼女たちは、生きておられるイエスと再び出会うことができることを喜び、過去の象徴とういうべき墓から急いで離れ、前に進んで行った。「すると見よ、イエスが『おはよう』と言って彼女たちの前に現れた、彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した」(9)。
 私たちも生きておられる主イエスと出会うことを期待して、「週の初めの日」の主日礼拝に駆けつけるべきである。そこに喜びといのちと力がある。

Ⅲ ガリラヤで待っておられる復活の主イエス
 御使いもイエスも女たちに、男の弟子たちへの伝言を託した(28:7,10)。「ガリラヤ」でイエスに会うことができると。
 マタイ福音書において「ガリラヤ」は「闇」「死の陰の地」(4:15~16)。失敗、挫折、失望、悲しみと罪のどん底…、そこでイエスは待っておられる。またガリラヤはイエスとともに歩む生活の「原点」「ふりだし」。イエスはそのガリラヤで待っておられる (ヨハネ20~21章)。
 ガリラヤとは、失意の場であると同時に、イエスとの新鮮な出会いの場、そこからイエスと歩み始める場。イエスは先んじてガリラヤで待っておられる。

 私たちの失意と絶望の中で、復活の主イエスは私たちと出会い、罪赦し、傷を癒し、立ち上がらせ、もう一度始めさせてくださる。何度でも、何度でも。「さあ、共に生きよう」と。