礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年4月3日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
       「キリストにあって近い者となった」  エペソ人への手紙 2:11~13


 2:11~22では「ユダヤ人と異邦人との融合統一」の問題が展開されていく。

Ⅰ 異邦人キリスト者の救われる以前の状態(2:11~12)
 「思い出してください」。もし神の恵みにあずからなかったら、もし救いをいただかなかったら、自分はどんなに悲惨であったかを思い巡らすのである。自分に与えられた新しい命、新しい立場がどんなに素晴らしいかを知ることができ、力と希望が湧いて来る。
 「無割礼の者」。エペソを中心とするアジア州の多くのキリスト者たちは、「肉」において、肉体的生まれ、血筋においては「異邦人」(非ユダヤ人)であった。割礼はアブラハムに与えられた約束の契約(創世17:1~8)の「外面的なしるし」(同10~14)であった。その契約は一言で言えば、「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる」。異邦人たちはこの神の契約のしるしである割礼を施されていなかった。つまり神の約束の契約に入れられていない者であった。契約の中で公にされている様々な祝福にあずかる権利がなかった。
 異邦人は、結局は「キリストがない」から始まって「神がない」へと至るものであった。神はキリストにおいてご自身とご自身の祝福を差し出したもう。それゆえ、キリストを持つか、持たないかが重要である。キリストを持たなければ、キリストと結ばれていなければ、神を持たず、神の祝福と救いを持っていないことになる。
 救われる前の私たち、生まれながらの私たち、どれほど惨めであったことか。しっかり、心に留めておきたい。

Ⅱ キリスト・イエスにあって、キリストの血によって、近い者となった(2:13)
 キリストにあって、特に「キリストの血によって」、私たちの罪が取り除かれた。キリストの「血」、キリストのいのちが、ユダヤ人同様異邦人も含めた「多くの者」(イザヤ53:11,12)のための罪のためのいけにえとしてささげられた。キリストの死において罪はさばかれ、断絶をもたらす罪が取り除かれた。
 ユダヤ人と異邦人それぞれが、キリストの死によって罪が赦された。そして、両者は以前では考えられなかったほどに神に近い者とされた。ユダヤ人と異邦人両者が神に近い者となったので、ユダヤ人と異邦人両者の間の距離も近くなった。キリストにおいて、キリストの血において、神に罪を赦されたがゆえに、互いに赦し合えるようになった。互いに受け入れ合えるようになった。

 あらゆるキリスト者は、キリスト者同士は、キリストにおいて、キリストを信じて、ますます神に近づいて行くことができる。そして、キリストにおいて神に近づいて行けば行くほど、キリスト者同士もますます近しくなって行く。