礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年2月20日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
      「私たちにある望み、御国、神の力」 エペソ人への手紙 1:11~14

エペソ書1章後半は、「すべての霊的祝福」に対する開眼を求める「とりなしの祈り」。

Ⅰ 祈るときには(1:15~16)
 パウロは御父・御子・御霊の神が与えてくださった霊的祝福(3~14)のすばらしさを思い、パウロ自身とエペソおよびその周辺の異邦人を中心とするキリスト者たちがともにその祝福にあずかっていることを思うにつけ、神を賛美するとともに「感謝」せずにはおれない。
 旧知の聖徒たちも、新しい聖徒たちも、ともにますます信仰と愛に生きている。「主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛」に喜んで生きている。それゆえ、そのように彼らを生かしている神に、パウロはますます感謝する。

Ⅱ 絶大なる希望と力(1:17~19)
 ここはパウロのとりなしの祈りの内容である。彼は聖徒たちの「霊的開眼」を求めて祈っている。「知ることができますように」と。パウロが知るようになってほしいと願うことは次の3つのこと。
 第一に「神の召しによる望みがどのようなものであるのか」(18b)。神は永遠の選びに基づいて私たちを召し、キリストに結合してくださった。そして、神はさらに私たちを召し続け、キリストとの親しい交わりの中に引き入れ続けてくださる。そして、永遠のいのちにますます活かし、キリストに似た者へと造り変え続け、終わりの日には完全にキリストと同じ姿に変えてくださる。神は私たちを召し、キリストとまったく一つにされるというゴールにまで確実に導いてくださる。その確実な召しによる希望の中で、私たちは平安と感謝をもって前に進んで行くことができる。
 第二に「聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものであるのか」(18c)。私たちキリスト者は神に召され、聖霊により、信仰を通して、キリストの血による贖いにあずかり、罪の赦しが与えられている(7)。そして、完成された神の御国に入れられる(10)。そうして、名実ともに御国を受け継ぐ(11,14)。聖徒たちが受け継ぐもの、完成された神の国が今の私たちにとってどれほど栄光に富んだものであるのかを、私たちは「聖なる公同の教会」「聖徒の交わり」として今ここで体験することができる。御国を受け継ぐことの保証である「聖霊」(4)が私たちをそのように導いてくださる。
 第三に 「神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるのか」(19)。私たちが今キリスト者として生きていること、救いの恵みを受けていること、そのすべてが、実は神の絶大な力が私たちに働いていることの証しにほかならない。しかも、私たちに働き続けるこの神の力は、神がキリストを死から復活させ、天に挙げたと同じ力、驚くべき力なのである(20)。私たちそのものは常に無力である。しかし、私たちに働いた、また働き続ける力は度はずれて大きいのである。

私たちは自分のために、そして、すべての聖徒たちのために、日ごと夜ごと祈りたい。パウロの祈りを祈りたい。それはキリストが願い、キリストがとりなし祈っておられる祈りでもある。そして、聖霊が私たちの内で言い難いうめきをもって祈り続けている祈りでもある(ローマ8:26)。このパウロの祈り、キリストの祈り、聖霊の祈りを祈ることを通して、私たちは神の驚くべき恵みの世界にますます目が開かれ、私たちの信仰、希望、愛はますます豊かにされていく。そして、恵みの神の栄光がますますほめたたえられていく。