礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年2月13日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
            「御国を受け継ぐ」 エペソ人への手紙 1:11~14

 ユダヤ人キリスト者も異邦人キリスト者もまったく同じ祝福にあずかることが強調される。

Ⅰ 御国を受け継ぐ者とされた(1:11~12)
 ここでの「私たち」は、パウロを含むユダヤ人キリスト者たちのこと。
 ユダヤ人は旧約聖書を与えられており、神殿祭儀や預言者のことばを通して、やがて来られるキリスト(救い主)を示され、キリストに望みを置いていた。
 そのユダヤ人の中から召されてキリスト者となった「私たちは御国を受け継ぐ者となりました」。それは彼らの功績、善などのゆえではなく、ただ測り知れない神の「みこころによるご計画」にしたがってである。「誇る者は主を誇れ!」(Ⅰコリント1:31)である。それは「神の栄光の賛美へと至るようになるため」。 

Ⅱ 約束の聖霊によって証印を押された(1:13)
 ここでの「あなたがた」は、「私たち」ユダヤ人キリスト者に対する「異邦人キリスト者」のこと。
今や異邦人もユダヤ人同様、「真理のことば」「救いの福音」を「聞く」ようになり、信仰への道が開かれ(ローマ10:17)、救いの扉が大きく開かれた。異邦人キリスト者もまた、ユダヤ人キリスト者同様、キリストの福音を「聞いて」、「信じて」、そして、「約束の聖霊によって証印を押され」ている。
 聖霊は、私たちキリスト者が正真正銘の本物の神の子どもであることの証明であり、私たちキリスト者がまちがいなく神の所有であることの証明であり、私たちキリスト者があらゆる危険から守られ、最後まで保たれ、御国を相続することの証明。神は聖霊をもって私たちに太鼓判を押してくださった。「絶対大丈夫!」と。

Ⅲ 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証(1:14)
 ここでの「私たち」は異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の両方を含む「私たちみんな」。
 聖霊はまた、ユダヤ人キリスト者にとっても、異邦人キリスト者にとっても、御国を受け継ぐことの「保証」である。「保証」(アラボーン)とは、売買の際に契約履行の保証として前もって金品を渡す手付のこと。また、時至って、必ず約束のものを与えるという誓いのしるし。神が私たちに聖霊という保証、契約履行を約束するしるしを与えてくださった。それゆえ、私たちは、時至ったなら、終わりの日に、かならず御国を受け継がせていただける。

 「神の栄光がほめたたえられるためです」(14b)。6節には「恵みの栄光」とある。「神の恵みの栄光」!「栄光」は神の臨在を現わす。「神の恵みの栄光がほめたたえられる」とは、今も生きて働いておられる恵み深い神がほめたたえられることにほかならない。これこそが私たちの存在目的なのである。
 それゆえ、私たちは恵み深い神を大いにほめたたえたい。とともに、私たちを見るだれもが、「神はまことに恵み深い方だ」と実感して、「神様は素晴らしい」と言うようになってほしい。恵み深い神が、この私の全存在によってたたえられるようにと願い、私たちは弱く罪深い我が身をきょうも神に差し出し、ささげ、ゆだねていく。