礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【2022年2月6日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
        「神の豊かな恵みがあふれる」 エペソ人への手紙 1:7~10

 パウロの神賛美、ここは「神の奥義であるキリストによる贖いの実行」が主題となる。

Ⅰ 神の愛する御方の血による贖い(1:7)
 すべての霊的祝福・恵みの第三は、「その血による贖い」、「背きの罪の赦し」である。
 聖書における「贖い」の基本的な意味は、「他者の所有である物や人を解放する」こと、そして、「代価を払って手に入れ、自分の所有にする」ことである。神は御子イエスを十字架につけ、御子が流した血(きよい命)を贖いの代価とされた。
 それゆえ、御子イエスを信じる者は、罪ゆえの呪いと死と滅びの束縛からまったく解放され、神のものとされる。御子イエスの血による「贖い」の最初のものは私たちの過去・現在・将来にわたる「罪の赦し」である。

Ⅱ 私たちの知恵と思慮における奥義の認識(1:8~9a)
 すべての霊的祝福・恵みの第四は、「私たちの知恵と思慮における奥義の認識」である。
 「神のみこころの奥義」とは、イエス・キリストのこと(コロサイ1:27、2:2~3)。神は恵みをもって私たちの「知恵」と「思慮」に働き、神のみこころの奥義であるキリストを知るようにしてくださった。
 そして、神のみこころの奥義の核にあるキリストを知ることによって、またそのキリストとの交わりの中でキリストを愛し、キリストに従い、私たちの全人格をもってキリストをさらに深く知り続けることによって、「キリストに関わる数々の真理」(一つひとつの奥義)をも広く深く認識していくことになる。ヨハネ15:5。

Ⅲ 一切のものが、キリストにあって、一つに集められること(1:9b~10)
 すべての霊的祝福・恵みの第五は、「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められること」、別の言い方をすれば、「万物の再創造」である。
 キリストの血による贖い、罪ゆえの呪いと死と滅びの束縛からの解放の最後のもの、究極のものが、「私たちのからだの贖い」(栄光のからだへのよみがえり)と「被造物の虚無からの解放」による新天新地、永遠の神の国の完成である。それは万物の再創造。
 そのとき、「キリストにある」一切のものが、神が創造された意図のとおりの本来のあり方に回復され、一致調和し、さらに豊かにされ、そして、キリストがすべてのかしらとなられる。「時が満ち、神の二つの被造物、すなわち、神の“全宇宙”と“全教会”は、それら二つのものの上に立つかしらであられる宇宙大のキリストの下に統合される」(ジョン・ストット)。

 キリストのからだなる教会(1:23)は神の愛に生き、神の国の完成、世界の再創造を先取りし、体現し、推進し、その恵みの前味を味わい生きる共同体、神の新しい社会である。