礼拝説教 遠藤 潔 牧師




【2021年12月26日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
        「エジプトに逃れる」 マタイの福音書 2:13~23


マタイ福音書におけるクリスマスの記述のしめくくりである。神我らとともにいます!

Ⅰ エジプトへの避難(2:13~15)
イエスと両親のエジプトへの逃避は、旧約のホセアの預言の成就であった。「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した」(ホセア11:1)。イスラエルは、神がエジプトから解放して「わたしの子」と呼んでくださるほど愛されているにもかかわらず、神に逆らい続けるどうしようもない「わが子」「不肖の子」であった。
それで、今回神は、真の「わたしの子」イエスをエジプトに追いやり、そこから「呼び出す」のである。イスラエルが台無しにしてしまった出エジプトのみわざを、イエスが真に回復し、完成させる。「わが子」イエスのエジプトからの呼び出しの出来事は、イエスが完全な贖い(ご自身の十字架の死による罪人の解放)を果たし、人類の真の解放(罪と滅びからの解放)を導くメシア(キリスト、救い主)であることを世に示すものであった。

Ⅱ 幼児虐殺(2:16~18)

ヘロデは新しい王となる可能性のある子どもの存在を消すため、ベツレヘム一帯の二歳以下の男児をみな殺した。マタイはこの出来事を「預言者エレミヤを通して語られたことが成就した」(17)とする。エレミヤ31:15は、ユダ王国の滅亡とバビロン捕囚の始まりという出来事の衝撃を詩的に表現するものである。
罪のゆえにエルサレムからバビロンに捕囚として連れて行かれるイスラエルの民は、イスラエルの生みの母ラケルの墓(ベツレヘムの近くにある、創世35:19)のそばを通って行くとき、ラケルは墓の中でどんなに悲しみ嘆いたことであろうかと。マタイは今回のベツレヘム一帯の幼児虐殺を、バビロン捕囚以来の大惨事であり、エレミヤの預言の最終的な成就であると述べている。

Ⅲ エジプトからの帰還(2:19~23)
数年後、ヘロデが死んだ。ヨセフは幼子とその母マリアを連れてガリラヤのナザレ(彼らの郷里)に帰って生活する。「これは預言者たちを通して『彼はナザレ人と呼ばれる』と語られたことが成就するためであった」(23)。
「預言者たち」は、やがて来られるメシア(キリスト、救い主)は人からさげすまれるということを預言していた(詩篇22:6、イザヤ49:7、53:3~9、ダニエル9:26)。「ナザレから良いものなど出るはずがない」というのがイエス当時の感覚(ヨハネ1:46)。「彼はナザレ人と呼ばれる」とは、メシアが人々からさげすまれるという一連の旧約の預言をマタイなりにまとめたことばである。

「わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる」(イザヤ46:10)。神は悪魔の妨害、権力者の横暴、人々の背信をものともせず、イエス・キリストによる罪人の救いについてのご計画を力強く実現され、神の国を完成される。「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」(同9:7)。