礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年10月24日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
      「主ともにいます」 ヨハネの福音書 21:1~14


 復活の主イエスが弟子たちに三度目にご自分を現された出来事、早朝の豊かな交わり。

Ⅰ 私たちにさりげなく寄り添い、心配り、つきあってくださる復活の主イエス(21:1~6a)
 ペテロをはじめ、イエスの弟子のうちの7人が、夜のティベリア湖(ガリラヤ湖)に漁に出たが、小魚一匹捕れなかった。夜が明けはじめ漁は打ち止めというそのとき、イエスが岸辺に立たれた。イエスは弟子たちの「仲間」として彼らの漁につき合ってくださった。
 御子イエスはいまも聖霊において、私たちといつもともにいてくださり、私たちをご自分のことのように受けとめ、いっしょに喜び、悲しみ、熱くなって、私たちに寄り添ってくださる。

Ⅱ 復活の主イエスを認めた感動、復活の主に向かう喜び(21:6b~8)
 弟子たちはイエスの指示どおりに網をおろすと、驚くほどの大漁!「イエスの愛されたあの弟子」ヨハネがいち早く復活の主イエスを認め、「主だ」と叫んだ。
 ペテロはイエスに向かって飛び込み、他の弟たち子は魚の満ちた網を引きながら、舟で岸辺のイエスに近づいて行った。だれもが復活の主イエスを認めた感動と、復活の主に向かう喜びで満たされていた。
  「主です!」。聖霊は聖書のみことばを通して、今ともに生きておられる復活の主イエスを私たちに指し示す(16:4)。私たちは喜びながら、イエスの御前に進み行こう。

Ⅲ 復活の主イエスが備え与えてくださる糧(恵み)と交わり(21:9~14)
 岸辺ではイエスが炭火を起こし、魚を焼き、パンも用意しておられた。弟子たちは捕った魚の何匹かをもイエスに差し出し、炭火の上に載せて焼いてもらった。「さあ、朝の食事をしなさい」。イエスは弟子たちを招かれた。弟子たちはガリラヤ湖畔で、イエスと差し向かいで、朝の食事をした。実においしい食事である。イエスの前ではまったく緊張しない。弟子たちは自然体でいられた。自然体で満ち足りた交わりがそこにあった。
 復活の主イエスは日ごとに、恵みとしての豊かな糧を備えていてくださる。みことばの糧、食物の糧、仕事や娯楽、私たちのすべての必要を。そしてイエスは、自然体で愛にあふれる交わりを備えていてくださり、その交わりにあずかるよう、私たちを招いておられる。この主を礼拝し、主と交わろう。日曜日・主日礼拝、朝の(日中や夕の)ディボーションという個人礼拝、また、瞬間の礼拝。日常の様々な礼拝を主にささげよう。また、苦しみや不安も悲しみも、成果や喜びも主イエスに差し出そう。主と苦楽を共にし、主の臨在の恵みを日に日に味わわせていただこう。これはもうすでに神の国である。永遠である。「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:21)。

 私たちは主イエスと日々交わりながら、自然体で「主ともにいます!」と人々に証しする。私たちも「イエスに愛されている弟子」なのである。(8~9)