礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年10月10日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
      「信じる者になりなさい」 ヨハネの福音書 20:24~31


 「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。これがイエスの一貫したおこころである。

Ⅰ 「見なければ、決して信じません」(20:24~25)

 トマスのことばは11:16、14:5にも出ている。彼の人生観は、死は不可解、死で一巻の終わり、死の向こうのことは考えられない、というもの。
 彼は他の弟子たちからイエスが復活して生きておられると聞かされても、「見なければ、決して信じない」と主張した。

Ⅱ 「私の主、私の神よ」(20:26~28)
 「八日後」、次の日曜日、今度はトマスをも他の10人の弟子たちと一緒にいた。復活の主イエスが来られ、他の弟子にではなく、トマスに近づき、彼に語られた。彼はこの時点ではいわば一番信仰の弱い人間である。イエスは信仰が一番弱い者のところに真っ先に近づき、語りかけてくださる。ここに慰めがある。
 「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。イエスはトマスが何としても信じる者になるようにと願い、彼の眼前にご自身の両手の傷跡と脇腹の傷を差し出して見せた。イエスは彼の信仰が引き出されるようにと、彼の霊の中に手を差し伸べてくださったのだ。
「私の主。私の神よ」(28)。彼は主イエスの愛と臨在と存在感に圧倒され、「イエスよ。あなたはほかならぬこの私の主、この私の救い主、この私の神です。あなたに私をゆだねます」と告白する以外にはなかったのである。

Ⅲ 「見ないで信じる人たちは幸いです」(20:29~31)

 生きておられる主イエスを信じるとどうなるか。イエスご自身によって永遠のいのちを得る(3:36)。なぜなら、十字架で罪の贖いの死を遂げ、よみがえられたイエスのうちに永遠のいのちがあるからである(Ⅰヨハネ5:11)。
 永遠のいのちがあるとどうなるか。第一に、罪が赦され、主イエスとともに、永遠に生きる。第二に、内的に満たされ、主の臨在の平安と喜びであふれる。三位一体の神との愛の交わりに生きる。第三に、いのちがあるので成長する。キリストに似たものにきよめられていく。第四に、力がある。主のために生き働く活動力がみなぎっていく。
 主イエスは、私たちがいのちを得、さらにいのちに満たされることを切に望んでおられる(10:10)。それゆえイエスは、「信じなさい」といつも呼びかけるとともに、私たちが信じることができるように、さらに強く信じることができるように、いつも働きかけ支え続けていてくださる。
このイエスを「見ないで信じる者は幸い」。肉眼でイエスを見ないでも信じるということ。「聖書という眼鏡」(カルヴァン)と「聖霊という目薬」(黙示3:18)をもって、霊の目でイエスを見るのである。

 「私の主、私の神よ」「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ9:24)。