礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年10月3日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
   「平安があなたに」 ヨハネの福音書 20:19~23


 日曜日は週の初めの日、主の日、主の復活の日。復活の主イエスとの出会いの日である。

Ⅰ 復活の主イエスが恐れる弟子たちの真ん中に立たれた(20:19)
 週の初めの日(今の日曜日)の夕方、イエスの弟子たちは一つの家に集まり、恐れと不安の中で戸を閉じていた。
 その「弟子たちの真ん中に」、復活の主イエスが入って来られた。イエスは彼らを一言も責めることなく、「平安があなたがたにあるように」と言われた。イエスは弟子たちに愛のことば、赦しのことばをかけてくださった。イエスは今も同じお方。

Ⅱ 復活の主イエスは弟子たちに、十字架の傷のあるおからだを示された(20:20~21)
 「弟子たちは、主を見て喜んだ」。両手と脇腹の刺し貫かれた傷跡は、ここにおられる方がまぎれもなく十字架で死なれたイエスご自身であることの証しである。
 イエスが生きておられ、前と変わらず一緒におられ、傷みや苦悩をともにして助けてくださる。しかも、罪を、弱さと裏切りを赦してくださる。そして、新しいいのち、永遠のいのちを与えてくださる。弟子たちは、ほんとうに喜びでいっぱいだった。イエスはさらに言う。「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします」。
私たちは今もなお罪と傷みの中にある。だからこそ、日ごとに、イエスの傷跡を見つめ、赦しといやしの愛を身に浴びながら歩んでいく。  そのようにイエスに愛され、赦され、いやされ続けながら歩む私たちを、イエスはさらにさらに深く愛して、この世界への恵みの贈り物として遣わされる。私たちは恵み深いイエスを人々に現わす者としてこの世に送り出されている。

Ⅲ 復活の主イエスによる弟子たちの世への派遣式(20:22~23)
 イエスは弟子たちを世に派遣する。「聖霊を受けなさい」(22)。宣教者は「聖霊」によって生きる。宣教者は聖霊によって真の意味で働くことができる。
 さらにイエスは言う。「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります」(23)。罪を赦すことができるのは常に神だけである(マルコ2:7、ルカ5:21)。弟子たちの役目は、「誰の罪が赦され、誰の罪が赦されていないか」を明快なことばで宣言すること(使徒10:43、16:31、ローマ8:1)。

 復活の主イエスは、きょうも私たちのところに来ておられ、創造主として、いのちの与え主として、私たちに親しく息を吹きかけ、聖霊を注ぎ与えてくださる。主イエスは、私たちとご自身との絆である聖霊を、また、人と人との絆を造り出す聖霊を、私たちに与え、満たし、私たちを愛の絆に生かしてくださる。私たちは聖霊を受け、神の愛の中で、復活の主イエスとともに、この世に遣わされていく。シャーローム、平安あれ!