礼拝説教 遠藤 潔 牧師

【2021年8月29日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝(ファミリー礼拝)】
              「ギデオンの召命」 士師記 6:1~24,33~35


 出エジプト後、荒野の旅を経て、約束の地カナンに入ったイスラエルの民は、指導者ヨシュアの死後はカナンの先住民をまねて堕落を繰り返す。士師記が記録する200年間のイスラエルは、①偶像礼拝 ⇒ ②異邦の民による圧迫 ⇒ ③神への叫び ⇒ ④士師による救出 ⇒ ①偶像礼拝の繰り返し。しかし、神の本質はさばくことではなく、見捨てず、忍耐し、とことん付き合ってくださること。「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:16)。
 士師記には十二部族から一人ずつ、十二人の士師たちが登場する。生き方において模範的ではない者も多かったが、彼らは主のみことばによって信仰を強められて働いた。士師ギデオンもそうだった。

Ⅰ 「力ある勇士よ。主があなたといっしょにおられる」(6:12
 マナセ部族のギデオンは臆病な若者であった。ある日、主の使いが彼を訪れ、「主があなたとともに〔おられる〕。力ある勇士よ」(12、原語の順序で)と彼に呼びかけた。ギデオンが何ゆえ「勇士」なのか。「主がともにおられる」から。「無に等しい者を神は選ばれた」(Ⅰコリント1:28)。しかし、主はギデオンとともにおられた。「無に等しい者」+「主があなたとともにおられる(主の臨在)」=「力ある勇士」である。
 イエス・キリストこそ真の勇士(ヨハネ16:33)。神は、信仰によってキリストに結ばれた私たちを、キリストにおいてご覧くださる。神はまず私たちをキリストにおいて「良し(義)」と認め、「勇士」と認めてくださる。そしてさらに、私たちの内に聖霊においておられるキリストの姿(勇気、愛、聖、義、善…)に私たちを造り変えていかれる。義人へと、光の勇士へと私たちを造っていってくださる。それゆえ、「誇り」も「卑屈」も捨てて、自分をそのまま神に差し出したい。キリストが聖霊において私たちの内にさらに力強く生きてくださる。「主がともにおられる」。

Ⅱ 「行け、あなたのその力で。・・・わたしがあなたを遣わす」(6:14
 ギデオンの力はまことに弱かった。性格的に臆病。マナセ部族の最小分団。しかし、主は「あなたのその力で行き・・・救え」(14、新改訳第三版)と言われる。
 私たちも自分の弱さを数え上げ、主の派遣(働き・行動への招き)にためらいを覚え、断ってしまうことがある。しかし、主は言われる。「その力で、弱さを抱えたままで、仕えなさい。わたしがあなたを遣わすのだ」。

 私たちの罪を負い十字架で償いを済ませ、死も滅ぼして復活した圧倒的な勝利者の主イエスがともにおられる。私たちの弱さの中でこそ、主ご自身が働かれ、主の力と栄光が現される。
パウロのことばが胸に迫る(Ⅱコリント12:9~10)。「弱いときこそ強い」。