礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年5月9日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
       「永遠のいのちの現実」   ヨハネの福音書 17:1~5


告別説教後のイエスの「大祭司の祈り」の1回目。イエスはまずご自身のために祈る。

Ⅰ 「時が来ました。栄光を現わしてください」(17:1~2)
イエスは御父に「子の栄光を現わしてください」と祈られた。すなわち、イエスはご自分が十字架の死に至るまで神に従い通すこと、復活、昇天、御父の右の座に着き、人々に永遠のいのちを豊かに与える者となるに至ること、そうして、罪人を救う「恵みとまことに満ちた」御父と御子の栄光が豊かに現れること(1:14)を切に願われた。
その祈りは御父に確かに聞かれた。「キリストは、・・・十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました」(ピリピ2:6~9)。

Ⅱ 永遠のいのちとは(17:3)
人に「永遠のいのちを得させること」がヨハネ福音書が書かれた目的である(20:31)。永遠のいのちはイエスを信じることによって与えられる(3:16,36)。しかもイエスを信じたそのときから、永遠のいのちを持っている(3:36、5:24、6:47)。
では、永遠のいのちとは何か。それは、神を知り、イエスを知ること。神とイエスに知られながら、神とイエスをますます知っていく、日々ますます豊かになる、永遠に続く親密で人格的な愛の交わりである。
 「問1 人生の主な目的は何ですか。 
  答  神を知ることであります。」
 「問3 では人間の最上の幸福は何ですか。 
  答  それも同じであります。」(カルヴァン『ジュネーヴ教会信仰問答』問1、問3)
 神を知ること、すなわち、永遠のいのちを生きることこそ、人生の主な目的、人間の最上の幸福である。

Ⅲ 「世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を」(17:4~5)

イエスの第二の願いも栄光に関わることであるが、ここでは特に、復活、昇天、御父の右への着座を経て、天の御父の御前で、永遠からの御子なる神としての栄光に輝くことを願っている。
しかし、ある意味、現在それ以上の栄光がイエスに与えられている。今や天のイエスには、本来の御子としての栄光にプラスして、御父が成し遂げるように託された贖いのわざをすべて成し遂げ、罪とサタンと死に打ち勝って復活した勝利者としての栄光、また、勝利した救い主としての栄光が加えられている。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です」(黙示録5:12)。

イエスにあって日々ますます神を知り、その愛を味わい、恵みとまことに満ちた栄光に包まれていく(1:14)。永遠のいのちとはそのようにイエスとともに生きる現実である。