礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年5月2日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
        「イエスにある平安」 ヨハネの福音書 16:16~33

告別説教の8回目、説教の結びである。イエスは弟子たちに平安を与えようと愛のことばを語る。「なんじら世にありては患難あり、されど雄々しかれ。我すでに世に勝てり。」

Ⅰ あなたがたの悲しみは喜びに変わる ~イエスの復活~(16:16~22)
イエスが十字架で処刑され、イエスの弟子たちは嘆き悲しむ。イエスが死んでしまった悲しみだけではない。自分たちの裏切りがイエスを死に追いやったという罪責感のゆえに、彼らは苦しみを覚える。しかし、イエスの復活と顕現によって悲しみは喜びに変わる。復活した生ける主イエスがご自身の十字架の贖いに基づいて彼らに無条件・無制限の罪の赦しを与え、かつ、ご自身の復活のいのち、永遠のいのちにあずからせてくださるからである。
イエスは生きておられる。イエスは私たちが苦難と暗闇の中で倒れても倒れても、なおも赦し、いやし、立ち上がらせ、愛をもって微笑みかけ、永遠のいのちに活かしてしてくださる。御父・御子・御霊の神との永遠の愛の交わりに生きるようにしてくださる。ご自身のすべてを差し出し与えてくださる、生ける復活の主イエスにあって、私たちの「悲しみは喜びに変わる」。

Ⅱ あなたがたの喜びが満ちあふれる ~イエスの昇天~(16:23~28)
天に上られたイエスと天から下ったイエスの御霊において、今や天と地はつながっている。父なる神と私たちは、イエスと聖霊によって確かにつなげられている。それゆえ、イエスの名によって、イエスの臨在を覚え、イエスの臨在の中で祈ることにより、私たちは何でも御父に話すことができる。わからないことも御父に尋ねることができる。このような「聖霊において臨在されるイエスにあって持つ御父との交わり」の中で、私たちは神の愛を存分に受け、さらにさらに「喜びが満ちあふれるようになる」(24)る。 
御父はイエスにあって、聖霊によって、聖書のみことばを通して、ご自身を私たちに示し、愛のみこころを語ってくださる。今やイエスだけでなく、天の父なる神もイエスの弟子たちを「友として愛してくださる」(27a)。私たちは神との友情に生きるように招かれている。

Ⅲ 世にあっては苦難がある、しかし勝利がある ~イエスの十字架~(16:29~33)
弟子たちの前からイエはいなくなる。弟子たちはイエスを裏切る。イエス共同体はいったん瓦解する。弟子たちは不安と恐れと罪責感に打ちのめされる。さらに、イエスの弟子たちとイエスの共同体は世の憎悪と迫害にさらされていく。苦難の連続である。しかし、イエスは「わたしはすでに世に勝ちました」と勝利宣言なさる。
イエスの十字架と復活によって私たちの世に対する勝利は確定している。イエスご自身が世の罪を引き受け、十字架の死と復活によって悪魔の力、罪と死の力を打ち砕いてしまわれたからである(へブル2:14~15)。それゆえ、信仰によってイエスに結ばれているかぎり、イエスにあって豊かな罪の赦しがあり、罪の力からの守りがあり、傷の癒しがある。復活があり、永遠のいのちがある。立ち直りがあり、前進がある。愛の勝利がある。

イエスは十字架と復活と昇天を通して、そして、聖霊を遣わし、聖霊においてご自身を与えてくださることを通して、罪人を活かす究極の愛を表してくださった。愛の勝利者イエス。このイエスにあって私たちも圧倒的な勝利者となる。イエスの愛による勝利者、そして、イエスの愛に生きる勝利者となっていく(ローマ8:37~39)。