礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年4月25日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝(ファミリー礼拝)】
                「モーセの誕生」     出エジプト 1:1~2:10

モーセは、やがて来られる「恵み」であるイエスの影として重要な役割を果たした人物である。本日はそのモーセの誕生の記事。
 
神は歴史の中で契約を結び、契約を更新しながら、人を恵み深く取り扱う。神はアブラハムとも契約を結ばれ、彼に大いなる祝福を約束する(創世12:1~3他)。神はアブラハムに、子孫と土地、すなわち、アブラハムの子孫たちが約束の土地を手に入れ、そこに住むことを約束する。神は創世記15章に描かれている厳粛な儀式によって、アブラハムの子孫は四百年の間奴隷として苦しめられるが、そこから贖い出されることを約束なさった(創世15:13~14)。契約に反した場合の呪いを表す裂かれた動物の間を、アブラハム自身は通らず、神のみがその間を通り過ぎた(15:17)。神は、契約のあらゆる約束が成就することを、すべて自身の責任として引き受けられたのである。
このアブラハムから400年の歳月が過ぎ、いまや、神がアブラハムとの契約に基づき、アブラハムの子孫であるイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放する時が来た。そして、神は彼らを約束の地に再び住むことができるように導いて行かれる。神はその計画を実行し、アブラハムとの契約に基づく約束を果たすため、モーセを立て、彼を育て、彼をお用いになる。神の大いなる救済のご計画の中におけるモーセの誕生であった。

本日の個所には、エジプト王とモーセという二人の男が出て来る。一方は強大な権力者、もう一方は小さな赤ちゃん。しかし、その赤ちゃんは大いなる神の愛に包まれ、神を畏れる「母たち」の愛に守られていた。神は彼をいのちを愛する女たちを用いて愛し、守り、育てていかれた。
エジプト王は男の赤ちゃんが生まれたら一人残らず川に投げ込めとの命令を出す。モーセの母はその命令に従わず、3か月の間モーセを家に隠しておくが、隠しきれず、かごに入れて葦が茂る川岸に隠す。エジプト王の娘である王女が見つけ、その子を自分の子として育てようと決断する。ずっと監視していたその子の姉は乳母として自分の母を王女のもとに連れて来る。こうして、この男の赤ちゃんは実の母の乳を吸い、彼女の養育のもと4歳ころまで育てられる。しかも養育費は王家から支給された。この子は人格形成と信仰の養いにおいて最も大切な時期を、神を畏れ、神の愛に満ちた母のもとで育てられた。
その後、4歳くらいからはエジプトの宮廷で王女の子として育てられる。この王女も大したもの。父ファラオの命令よりも敵の民族の赤子のいのちを大切にし、その子をわが子として育てた彼女の愛情と勇気と決断力もすばらしい。こうして、この子は当時のエジプトの最高の学問と教育を受けて育ち、信仰と知識、敬虔と実践力(判断力、指導力)を兼備する指導者として立つ。
この男の子が実の母から王女に引き渡されたとき、「王女はその子をモーセと名づけた。彼女は『水の中から、私がこの子を引き出したから』と言った」(10)。モーセ(モシェ)とは「引き出す」(マシャ)の派生語。王女の思いを超えて、この子「モーセ」はイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から「引き出す」(救出し、解放する)者となる。神の救いのご計画は人知れず着々と進められて行った。神の救いのご計画は人知れず着々と進められて行った。聖書は歴史を宿命や偶然といった悲観的な冷たい目で眺めるのではなく、神の愛とあわれみが支配する不思議な救いの大いなる「物語」(作り話という意味ではなく、ワクワクするような現実)として啓示している。

キリスト者は神を父とし、教会を母として成長する。神の愛を浴びるように受け、教会の愛の懐の中で育ち、神の救いの計画の中に生かされ、用いられていく。それゆえ「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを確かに味わいました」(Ⅰペテロ2:2~3)。