礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年3月21日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
           「行って愛の実を結ぶために」   ヨハネの福音書 15:12~17

告別説教の5回目。私たちは愛し愛され、主イエスが結んでくださる愛の実をともに喜ぼう。

Ⅰ イエスが私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛していく(15:12)
イエスが私たちを愛されたように、私たちも互いに愛し合こと、それは何よりもまず、相手を「赦す」ということである。赦しの愛は、十字架で私たちのために命をささげ、罪の贖いを成し遂げ、死からよみがえられたイエスから、聖霊によって私たちに与えられる。
私たちはイエスの十字架の愛、赦しの愛を日々黙想し、味わい、「きょうもイエスが私の罪を赦してくださっている」ことを実感しながら、イエスの愛にますます身をゆだね、イエスの愛に押し出されて相手を赦していく。
「人を赦せない」という現実をもあるが、そのことを通して私たちは自分の罪をさらに知らされ、ますますイエスに頼らざるを得なくなる。そうしてイエスに堅くつながろうとする者には、愛の実を結ぶ希望が開かれていく。感謝!

Ⅱ 友のためにいのちを捨てるほどの愛で愛する(15:13~14)
「友のためにいのちを捨てる」ほどの愛は、本質的にはイエスだけが持っておられる。
私たちの小さな愛がイエスの無限の愛に包まれている。このことを覚え、感謝しながら、そして、イエスの愛をさらにいただきながら、私たちもまた「友のためにいのちを捨てる」ほどの愛を実践しようと前に進んで行く。
そのとき、私たちはイエスのただの友ではなく、真の友になっていく。私たちがイエスの親しい友であることが世に明らかになっていく。

Ⅲ イエスの友として愛していく(15:15~17)
イエスは友として、みことばと聖霊を通して、私たちにご自身のみこころを親しく分かち合ってくださる。イエスはご自身の愛の心を私たちと共有してくださる。
イエスは私たちを、イエスの友として愛を実践するように任命してくださった。「行って実を結び」(16)とは、第一義的には愛という実を結ぶことである。「宣教(mission)」、すなわち「福音伝道(evangelism)」と「社会的責任(social responsibility)」(社会的奉仕)の働きもそこに愛がないなら、単なる義務遂行、また自己実現であって、その行為は無に等しい(Ⅰコリント13:1~3)。
聖徒の交わりにおいて互いに愛し合い、赦し合い、受け入れ認め合うことを通して私たちはイエスの友として磨きがかけられ、イエスの愛をもって世に遣わされて行く。 

イエスにとどまり、イエスの愛にとどまり続けよう。愛の実が私たちの内に外にあふれるように。