礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年2月14日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
              「父のみもとに」     ヨハネの福音書 14:1~14

十字架にかけられる前夜、イエスは弟子たちに告別の説教をなさった。14章から始まり16章まで続く。14章はその第一部である。

Ⅰ 父のみもとに場所を用意しに行く(14:1~6)
弟子たちは心を騒がせてはいけない。なぜなら、イエスは決して彼らを見捨てないからである。
罪ある私たちはそのままでは天の父なる神の御前に行くことはできない。しかも私たちは自分では罪の償いができない。だから、十字架につき、その死によって私たちの罪の贖い、死に勝利してよみがえり、天に上り、御父の右の座に着き、御父に対する私たちのとりなし手となられたイエスにおいて、私たちは御父の前に立つ。
イエスにおいて、私たちの居場所はすでに天の父の前に確保されている。イエスこそ「永遠のいのちへと至る真正な道」(6)。私たちは、イエスを信じ、身をゆだね、永遠のいのちへと至る。

Ⅱ イエスは父のうちに、父はイエスのうちにおられる(14:7~11)
イエスは父のうちにいる。父はイエスのうちにおられる。この相互内住が愛の神の在り方。
だから私たちはイエスにおいて父なる神を見る。そして、イエスにおいて父なる神に出会い、イエスにおいて父なる神を体験する。神の愛を知る。
それゆえ、ひたすらイエスに心を向け、イエスに身をゆだね、そうして天の御父と向き合うのである。

Ⅲ イエスが行うわざを行い、さらに大きなわざを行う(14:12~14)
イエスは地上の生涯で、パレスチナ地域のユダヤ人のみに愛のわざ(福音伝道、教え、癒し)を行った(マタイ4:23、9:35)。しかし、聖霊降臨の後、弟子たちはパレスチナのユダヤ人を超えてより広い世界に、異邦人にまで愛のわざ、すなわち、福音伝道、教え、癒しを行って奉仕をするようになる。
しかも、互いに愛し合い仕え合うキリスト者の群れ、キリストのからだなる教会、「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」を通して、ダイナミックにこの世に奉仕していく。イエスが父のもとに行き、天に上られたイエスが、聖霊を通して、そのような大いなるわざを、教会とキリスト者を通してなさるのである。
イエスは今や父の前で私たちの祈りのとりなし手であられる。イエスがなさったような愛のわざをするために必要な願いなら、父のみ心にしたがってイエスによってかなえられていく。

罪人である私たちは、イエスにあって御父のもとに行く。イエスにあって御父を見る。イエスにあって愛のわざを行う。イエスこそ「いのちに通じる真の道」。私たちはイエスに結ばれ、イエスにあって活ける愛の神を深く知る。心を騒がせず、イエスを信じよう。