礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年1月24日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
           「十字架の栄光に進み行くイエス」   ヨハネの福音書 13:21~30

イエスを信じ、イエスの愛の中に身を置くことによって、夜は明け、喜びの朝が来る(詩篇30:5)。

Ⅰ イエスは心が騒いだ(13:21)
最後の晩餐の席で、イエスは弟子たちに「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります」と言った。イエスは弟子の裏切りによって敵に渡され、死に渡される。しかし、イエスはその裏切りによる死を越え、いのちよみがえり、今も生きておられ、ともに生きてくださる。
このイエスを信頼していこう。裏切りの痛みをとことん経験されたイエスは、私たちとともに涙しながら、支えてくださる。イエスは決して裏切ることのない最高の友。

Ⅱ 弟子たちは当惑した(13:22~25)
イエスを敵に引き渡す裏切り者はだれか。弟子たちは大いに当惑した。
弟子たちはイエスへの信仰を告白していた(6:68~69、マタイ16:16)が、彼らのイエス理解はまだ十分でなく、彼らはイエスにユダヤの独立と繁栄を勝ち取る政治的メシアをも期待していた。しかし、その当てが外れそうで、「果たしてイエスを信頼し、行動をともにしていてもよいのか、もしかして自分が裏切り者になるのではないか」という疑問や不安が彼らの心の片隅にはあった。彼らはみな当惑した。
しかし、自分の罪と弱さに当惑しながらも、「イエスが愛しておられた弟子」(福音書記者の使徒ヨハネ)のように、なおイエスの「胸元に寄りかかって」いる者(25)、自分の罪と弱さをイエスの前に開き、自分を差し出し、イエスに頼る者は幸いである。赦され、きよめられ、何度でも立ち上がらさせていただける。

Ⅲ ユダはパン切れを受けると、すぐに出て行った(13:26~30)
「わたしの愛から離れるな」というイエスの愛の訴えのこもるパン切れを、ユダはただ無造作に受け取るだけだった。彼はイエスの愛に心開かない。「そのとき、サタンが彼に入った」(27)。
イエスはユダとサタンに「あなたがしようとしていることを、すぐにしなさい」(27)と主権的に命令する。暗闇の勢力が盛んに働く霊的な「夜」の到来である。
しかし、イエスは夜の闇に翻弄されてはいない。イエスは闇の中でも輝く光(1:5)。イエスはサタンとユダのせいで十字架に追いやられる被害者ではない。かえって、サタンとユダ、闇の勢力をご自分の支配下に置いて、受難と十字架という栄光の道を進んで行く。罪人のための贖いが実現し、神の救いの約束の真実さが輝き、復活と昇天へと至る栄光の道を。

私たちの人生にも闇の期間が到来する。私たちの心にも闇がある。しかし、暗黒を通り抜け、十字架の栄光に進み、いのちによみがえられたイエスに信頼していこう。イエスの愛は裏切ることはない。朝は来る。