礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2021年1月17日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
          「互いに足を洗いなさい」     ヨハネの福音書 13:12~20

イエスに足を洗っていただきながら「互いに足を洗い合うこと」の重要さが教えられる。

Ⅰ イエスの模範に倣って、私たちも互いに足を洗い合う(13:12~15)
イエスは弟子たちの足をお洗いになった。そのイエスに感謝しながら、イエスの弟子たちは互いに足を洗い合う。
イエスは私たちの罪を赦してくださった。イエスは十字架で私たちの罪の身代わりになり、私たちの罪の贖いを成し遂げられた方として、日々私たちの罪を赦し続けてくださる。イエスがそのように赦し続けてくださるように、私たちも互いに罪を赦し合う。互いに弱さを覆い合う。それは相手の罪を見過ごすことではない。しかし、赦し合う。そして、相手が罪から離れて、神に従う歩みができるように助けの手を伸べ合う。祈り、励まし、支え合う。そのようにして、互いに真実に愛し、仕え合う。互いの重荷を分かち合い、互いに必要なことを与え合う(ガラテヤ6:1~2)。
イエスのように自ら進んで、自発的、主体的に、喜んでそうする。イエスのように利他的に、見返りを求めず、どこまでも相手を生かすという動機からそうする。イエスのように自分を低くし、自分が損をすることや犠牲を払うこともいとわずにそうするのである。
しかし、言うは易く、行うは難し。それゆえ、兄弟姉妹の足を真実に洗うことができない自己中心的な罪深い自分をイエスの前に差し出し、イエスに罪赦され続け、きよめられ続けなければならない。どこまでも私の罪を赦し、きよめ、立ち上がらせてくださるイエスの愛を深く味わい、そのイエスの愛を原動力として、私たちは兄弟姉妹の足をも洗っていく。イエスの愛を浴びるように日々受けながら、兄弟姉妹を赦し、愛し続けていくのである。

Ⅱ イエスはユダの足をも洗われた(13:16~20)
来たるべき救い主が親しい者から裏切られることは旧約聖書が預言していたこと(詩篇41:9)。ユダがイエスを敵に売り渡したことは預言の成就。イエスがメシアであることをかえって証しする出来事。
注目すべきは、イエスがユダの足をも洗ったこと。それはどこまでも赦し続けるイエスの極限までの愛の証しであった。しかし、ユダはイエスのご真実を受け入れることができず、自ら命を絶ってしまう。
私たちはキリスト者の兄弟姉妹の足を洗うだけではない。自分に反対し敵対する者の足も洗うように招かれている。この世のすべての人、出会うすべての人の足を洗うようにと、聖霊とともに世に遣わされているのである。

御父・御子・聖霊の愛の交わりの中から世に遣わされるイエスの弟子たちは、人を愛することを通して、三位一体の神の愛の中に人々を招き入れていく。