礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2020年12月27日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝(ファミリー礼拝)】
          「シメオンとアンナ」    ルカの福音書 2:21~38

御子を賜うほどの神の愛(ヨハネ3:16)とイエスの恵みを覚え、年を越し、新年を始めたい。

Ⅰ イエスの割礼と宮もうで(2:21~24)
イエスは神の御子でありながら人となってマリアから生まれ、律法に基づいて割礼を施された。罪人である私たちと同じ立場に身を置かれた。
また、イエスは律法に基づき神にささげられた。罪なき神の御子イエスは私たちの代表として、罪人である私たちの罪を代りに引き受け、十字架で死ぬためにささげられた。
イエスは生まれたときから、贖い(身代わりの犠牲によって罪人を解放すること)のわざのために備えられたのである。

Ⅱ シメオン(2:25~35)
シメオンは聖霊の臨在と導きの中に生きた。彼はあかちゃんイエスを腕に抱きながら、神をほめたたえる。生ける主イエスを見ること、この方と出会うことは、神の救いに出会うことにほかならない(30)。シメオンはイエスの生涯を知らない。イエスの十字架と復活と昇天と聖霊降臨と教会の世界大に広がりも見ていない。しかし、赤ちゃんイエスを抱き、この方に救いのすべてがあることを信仰によって実感する。
主イエスにこそ救いの神がおられ、主イエスにこそ救いがある。罪の赦しと永遠のいのちがある。主イエスについて十分な知識がなくとも、信仰をもって主イエスを抱く者(信じる者)は、罪の赦しと永遠のいのちを豊かにいただくのである。「神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ、そして、そのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持って」いるのである(Ⅰヨハネ5:11~12)。
イエスを抱き、神の救いを見たと言い切り、平安に満たされ、人生に悔いなしと断言したシメオン。聖霊において私たちもそのように導かれる。

Ⅲ アンナ(2:36~38)
彼女が神から受けた恵み、祝福は、第一に84歳という長寿。第二に預言(神のメッセージを伝えること)をする賜物が与えられていたこと。第三に「宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた」という生活をさせていただいていたこと。第四に救い主イエスと出会い、この方のことを語るように押し出されたことである。
アンナは神殿において、神に心を向け、祈りをもって、人々に仕えていた。すなわち祭司的な礼拝をしていたのである。どんなことでも、神に心を向け、祈りながら行なうなら、それはすばらしい礼拝であり、奉仕であり、神の御顔の光がそこに輝いている。
アンナの奉仕で光っているのは「祈り」であろう。彼女が祈りをもって仕えている中で救い主に出会ったように、私たちも祈りの奉仕の中で、さまざまな形で救い主イエスを仰ぎ見るように導かれて行く。それはうれしいこと、そして、元気が出ることである。

生ける主イエスに出会うことこそ、人生の目標であり、生きる活力の源である。