礼拝説教 遠藤 潔 牧師
【2020年11月29日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝(待降節第一主日礼拝)】 「マリアへの御告げ」 ルカの福音書 1:26~38 本日から待降節(アドヴェント)に入る。救い主のご降誕を喜び祝う礼拝をともにささげながら、神の愛と恵みと力を豊かに味わうクリスマスを過ごしたい。 本日の箇所は、御使いガブリエルのマリアに対する「受胎告知」の記事である。 マルティン・ルターはこの箇所に3つの奇跡があると言う。第一は処女懐胎の奇跡、第二は神が人となる受肉の奇跡、第三は自分が神の御子イエスの母となることを受け入れたマリアの信仰の奇跡である。 Ⅰ 処女懐胎(1:26~33) ヨセフはダビデ王朝の子孫とはいえ、ローマ帝国の下にあったエドム人のヘロデ王家の支配下のユダヤで、ただの貧しい大工であった。ダビデ王家が最も没落したその果てに位置していた人物である。 ガリラヤの町ナザレのヨセフは同じ町の処女マリアと婚約していた。当時の慣習からして彼女は10代半ばであったろう。当時の婚約期間は1年間で、法的には夫婦なのである。しかし、一つ屋根の下に共に住むこと、性関係を持つことは、結婚まで待つことになっていた。神はこの二人を選び、救い主の養育を託すことになる。 御使いはいきなり現われ、マリアに告げる。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます」(27)。このことばに戸惑うマリアに御使いはさらに告げる(30~33)。その内容は、彼女が神から恵みを受けて男の子を産むこと、その子には「イエス」と名づけるべきこと、その子は「いと高き方の子」であること、その子は「永遠の王位」につくこと、である。 その子は第一に「救い主」である。イエスという名の意味は、「主は救い」である。第二にその子は「神の御子」なのである。第三にその子は終わることのない王国、すなわち、神の国の「王」だという。マリアにとっては青天の霹靂、驚き以外の何ものでもなかった。 Ⅱ 神が人となる(1:34~37) マリアは事の重大さを悟り、結婚前の自分が「どのようにして(how)」そのような事が起こるのかと、その筋道を尋ねる(34)。御使いは丁寧に説明をする。 神ご自身である聖霊がマリアに臨み、神の力が彼女をおおう。このようにして、彼女は処女でありながら男の子を身ごもる。神がマリアの胎のうちで人となる。それゆえ生まれる子は「聖なる者、神の子」である(35)。親類エリサベツも高齢でありながら身ごもった(36)。人類を救う神の御業はすでに本格始動している。「神にとって不可能なことは何もありません」(37)と。 イエスは人類を罪から救う救い主であれる。だから罪なき者でなければならない。汚い雑巾は汚れをぬぐうことはできない。また人の身代わりであるので、救い主は人間でなければならない。しかし、ふつうの出生の人間はみな罪をもって生まれてくる(ローマ5:12)。ゆえに罪なき方、神の御子が人となることが必要であった。実に処女懐胎による救い主の誕生は、完全に神であり完全に人である救い主を世に遣わすための、神だけがなしうるみわざであった。 「超自然的なお方がこの世においでになるのが超自然的な形によってであることは、実に自然なことである。神が人となられる受肉を信じることができるならば、処女降誕を信じることもまた理にかなったことである」(ジョン・ストット『日毎の聖書』) Ⅲ マリアの信仰(1:38) 婚約中の懐妊は、ヨセフからは不倫の嫌疑で婚約を解消される可能性大であり、世間からは不貞を犯した汚名を一生負うことになる(ヨハネ8:41からわかることだが、イエス在世当時からイエスが不倫によって生まれたという噂は一般的になっていたようだ)。 しかし、マリアはそれらのリスクも含めてすべてを受け入れ、不可能なことなど何もない神に、自分を全面的にゆだねる。マリアは神に応答する。 このマリアの信仰こそ聖霊による大いなる奇跡であった。神のことばと全能の神を信じ、その神に身をまかせるとき、自分で何かをする自己実現の人生から、神のために用いられる祝福の器に変えられる。これもまた大いなることである。 聖霊によって神の御子を宿すこと、それはマリアだけが体験したことである。しかし、神は私たちにこう語る。 「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません」(Ⅰコリント6:19)。 神は私たちにも申し出ておられるのだ。「わたしはあなたに宿り、あなたにおいて生き、あなたを栄光のために用いる」と。この神からの申し出に、私たちもマリアとともに、聖霊に身をゆだねながら、全幅の信頼をこめて神に応答させていただきたい。 「あなたこそ私の主、私は主のはしためです。主のしもべです。私はあなたのものです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」。 |