礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2020年7月26日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】     「記された神のことば」     エレミヤ書 36:1~32
 
主は生ける神であられ、ご自身の存在とみこころを世に顕わして来られた。さらに神は聖霊により、多くの人を通して、ことばによる啓示の書(聖書)を世に与えられた。神はこの聖書を通し、(聖書とともに働く聖霊によって、)ご自身の存在とみこころを私たちに示される。神は聖書の執筆、保存、伝播、翻訳、流布すべてをずっと守り続け、聖書が失われないようにしておられる。「主のことばは永遠に立つ」(Ⅰペテロ1:25)。

Ⅰ 主のことばが書き記される(36:1~7)
エホヤキム王の第4年(BC.605年)、主はエレミヤに、これまでの23年間彼が語って来た「主のことば」を巻物に書き記すように命じる(2、25:3)。主のことばが文書化され、民が主のことばを様々な時と場で読み聞かされるためである(6)。それは民が自分たちの罪の深刻さと主の「怒りと憤り」の大きさを思い知らされ、主へと向き直る(悔い改める)ため、そして、主が用意しておられる罪の赦しを受け、いのちと祝福の道を歩むようになるためである(3,7)。

Ⅱ 主のことばが焼かれる(36:8~25)
エレミヤの口述筆記者バルクは、巻物に書き記した主のことばを主の宮で朗読する。「その書物にあるすべての主のことば」を聞いたミカヤ(11)は、王宮の書記エリシャマとすべての首長たちにその内容を伝える(13)。バルクが召喚され、彼らの前でその巻物にある主のことばを朗読する(15)。彼らは主の怒りと憤りの大きさ(7)と下そうと思っているわざわい(3)に恐れおののく(16)。彼らはその巻物を書記の部屋に置き、主のことばをエホヤキム王に報告する(20)。王は巻物を取って来させ、ユディは王の前で朗読する(21)。かつてヨシヤ王は律法の書のことばを聞いて自分の衣を引き裂いた(Ⅱ列王22:11)が、その子エホヤキムと側近は「だれ一人恐れおののくことはなく、衣を引き裂くこともしなかった」(24)。かわりに主のことばの巻物を裂いては、暖炉で焼いてしまう(23)。人は不義によって真理を阻む(ローマ1:18)。人間は歴史の中でたえず主のことばを無視、または、抹消しようと試みて来た。

Ⅲ 主のことばが再び書き記される(36:26~32)
主はエレミヤとバルクを守られただけでなく、巻物の完全復元へと導く。さらに、新たな内容(32)、とくに主のみことばを踏みにじったエホヤキムへの裁き(30~31)が加えられる。
主のことばを命がけで語った聖なる預言者たち、彼らともに主のことばを書き留め、残すべく苦闘した同労者たち、そして、書き留められた主のことばを聴き続け、迫害を耐えながら主のことばを活き、次の世代に受け渡した歴代の聖徒たち。彼らの神への愛と主のみことばへの献身の結果として、いま私の手もとにある主のみことば、聖書。本当に愛し、尊び、大切にしたいと思う。主のみことばを聴き続け、主のみことばに日々活かされながら、主のみことばを自分の存在そのものに刻み付けていくことができるようにと祈りたい。

聖書は活ける主のことば。無限、永遠、不変の三位一体の神の啓示のことばであるから、決してなくならない。決して滅びない。聖書は神の永遠の愛と救いの恵みとを良き知らせ(福音)として常に新たに私たちに語り出し、私たちを活かしてくれる。神に感謝! 主に賛美!