礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2020年7月19日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
            「わたしは神の子である」 ヨハネの福音書 10:31~42
 
イエスの私たちに対する願いは、「イエスが神の子キリストであることを信じ、イエスの名によって永遠のいのちを得る」こと(20:31)、そして、私たちが日々イエスにあって、永遠のいのち(永遠なる三位一体の神との永遠に続く愛の交わり)に生きることである。

Ⅰ 「自分を神としている」~ユダヤ人からの非難~(10:31~33)
イエスは「わたしと父とは一つです」(30)と言われた。イエスは御子なる神。御父と別人格でありながら、神として御父と同質、御父との愛の交わりにおいて一つ、意志と目的においても御父と完全な一致があり、御父のみこころを御子は確実に実現する。
ユダヤ人たちはイエスが自分を神だと主張していることはわかった(33)。彼らはそのように主張するイエスを、神を冒涜する者として石打ちにし、殺そうとした(レビ24:16)。これで三度目 (5:17~18、8:58~59)。

Ⅱ 「『わたしは神の子』と言ってはいけないのか」~イエスからの問い~(10:34~36)
イエスは詩篇82:6の「おまえたちは神々だ」という「律法」(ここでは「旧約聖書全体」のこと)の一節を引いて彼らに問う(34)。「廃棄されることはあり得ない」神の権威あることばである聖書が、王や預言者のことを、神のことば(神のみこころ)を受け、神の代理として治め、語るがゆえに「神々」と呼ぶこともある(35)。とすれば、神が聖別し、世を罪から救うために遣わしたイエスが、ご自身のことを控えめに「神の子」と言ったとしても、神を冒瀆していることになるだろうか。
イエスは声高に「自分は神だ」とは主張しないが、決して否定もしない。私たちはイエスとの真実な交わりの中で、聖霊により、イエスが御子なる神だと知る。

Ⅲ 「わたしのわざを信じなさい」~イエスからの勧め~(10:37~42)
イエスは言う。イエスのことばが信じられないなら、イエスのわざを信じなさい。「ことば」によって信じることができないなら、「わざ」すなわち「しるし」(証拠としての奇跡)を通して、イエスが神の子であることを信じなさい、と。
イエスがなさった「しるし」に心を向け、黙想する時、イエスのしるしが神にしかできない(3:3、9:16,31~33)、御父とイエスとの一体の交わり中から生み出された奇跡であることを理解し、そして、父と子が一つなることを深く理解する。
ヨルダンの東側では、人々はバプテスマのヨハネの証しによって整えられていたので、イエスのわざ、「しるし」を見て多くの者がイエスを信じた。

バプテスマのヨハネは何もしるしを行わなかった(41)。パッとした凄いことは何もしなかった。彼はただひたすらイエスに注目し、イエスを指し示すことにより、イエスの心とともにあろうとした。
私たちもヨハネのようでありたい。目立つこと、すごいことは何もなくても良い。ただひたすら日々、イエスに心を注ぎ、イエスと交わり、ことばと行いでイエスを現すことができたら幸いである。イエスは「神の子」「キリスト」と身をもって証しし、永遠のいのち(神との愛の交わり)を生きる者であらせていただきたい。イエスの栄光が、そして、御父の栄光が私の存在を通して輝くようにと切に祈るものである。
る。