礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2020年6月21日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】
            「わたしは羊たちの門です」 ヨハネの福音書 10:1~10
 
イエスは言われる。「わたしは羊たちの門です」(7)、「わたしは良い牧者です」(11)。私たちはイエスの羊、イエスが絶対に必要である。

Ⅰ イエスは私たちを愛し、たえず声をかけてくださる(10:1~6)
パリサイ人らは「盗人であり強盗」。神の民の共同体に害悪しかもたらさない。律法および人が律法にさらに付け加えた規定を守ることによって神から救いを勝ち取る、といった間違った救いの道を教えていたから。
イエスは神のみこころ(計画、預言)という門を通って世に来た。イエスは神のみこころにかなった方として生き、そのような方として民のところに近づき来られる。イエスは神のみこころを体現する方、神のみこころがそのうちに凝縮した存在でもあられゆえ、イエス自身が門でもある。
羊の囲いは、主イエスの教会とも理解できよう。牧者(牧会者)は「受肉と十字架と復活の主イエス」という門を通らねばならない。そのようなイエスを信じ、そのようなイエスのへりくだりと犠牲に倣い、神自身によって高められることのみを願う。 
イエスは今も、へりくだって、私たちと共におられ、十字架の贖いのゆえに私たちの罪に赦しを与え、復活のいのちに満たしてくださる方として、教会に、私たちの生活に日々入って来られる。このような方としてイエスをいつも喜んでお迎えしよう。そのときイエスの恵みがあふれる。
3~5節には「声」という語が繰り返し出て来る。「声」は「ことば」で伝えられないものを伝える。声はたましいの震え、たましいの響きを伝える。良き牧者であるイエスの声には、羊を慕い求めるイエスのたましいの震え、イエスの愛が込められている。イエスの声を通してイエスの愛の心が響いてくる。
私たちは聖書のことばを読み、聖書の説き明かしである説教のことばを聴くとともに、それらを通してさらにイエスの声を聴く必要がある。イエスの声を聴かせてくれるのは、神の息である聖霊にほかならない。

Ⅱ イエスは私たちにいのちを豊かに得させてくださる(10:7~10)
羊が生きていくためにはいつも羊の囲いの門、そこを通らなければならない。牧場から帰って来て、羊が夜の平安な休みを得るためには、羊の門を取って囲いの中に入らなければならない。また、緑の牧場で草をはみ、憩いのみぎわで水を飲むためには、羊の囲いの門から出入りしなければならない。
「受肉と十字架と復活の主イエス」(恵みのキリスト)を通してのみ、私たちは神に近づくことができる。神との愛の交わりの中に、永遠のいのちの深みへと進み行くことができる(14:6、エペソ3:12)。また真に満ち足りた日常を歩むことができる。

良き牧者はいつも来ておられ、永遠のいのちの門が私たちの前に開かれている。イエスこそ私たちの希望であられる。