礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2020年5月17日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】    「苦しみを通して神を知る」 ヨブ記 42:1~6
 
人生の主な目的は、神を知ることである。神との交わりを通して、神を深く知ること。

Ⅰ ヨブ記のストーリー
裕福なヨブの生活は一転、四重の苦しみに喘ぐことになる。一度に子供と財産を失った喪失の苦しみ、全身できものの身体的苦しみ、3人の親しい友から「君は罪を犯した」と疑われ責められる精神的苦しみ、神に災いの理由を問うても神が応えてくださらない霊的苦しみ。
若い友エリフは、神は人をきよくするため苦しみという手段を使うと語るが、ヨブの苦しみはそのまま残る。
最後に神がヨブに語り出す。神は苦しみの原因を教えないが、ヨブに創造世界を見せ、ご自身が創造主、全能の支配者であること悟らせ、彼の目を新たに開く。ヨブは祝福の後半生へと導かれる。

Ⅱ 苦しみを通して、ヨブはもっと深く神を知った
ヨブは神を「主」(ヤハウェ)と呼ぶ。それは神の民と契約関係に入ってくださることを示す神の御名である。彼は自分が神との契約関係に入っていることを知っていた。「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる」、「わたしはあなたの罪を赦す」という関係に。
しかし、彼は苦しみを通して神をもっと深く知った。苦しみを通され、神の語りかけを聞いた後、ヨブは言う(42:2,5)。以前は神のことを「耳に」していただけの知り方であったとすれば、苦しみを通った後は、神を「この目で」「仰ぎ見」(新共同訳)たと言えるほどに神を深く知ったと。ヨブは苦しみを通して、さらに深く神を知り、神と親しくなった。

Ⅲ 苦しみを通して、単純で骨太な神信仰へと導かれたヨブ 
苦しみ中でヨブの信仰が不思議に深くされている(19:25~27)。ヨブは身内のような存在として苦しみの只中に来られ、共に苦しみ、そして救ってくださる贖い主なる神(それはイエス様!)において神を見るようになると知った。
ヨブは苦しみの理由はわからなかったが、神はすべてを、苦しみをも支配している。苦しみを与える神には神のご計画がある。そのご計画は十分わからないが、わからなくてもいい。しかし、神のご計画は私にとって最善。依然として神は私を愛しておられ、私と共にいてくださる。共に苦しんでくださりさえする。そして、救ってくださる。わからないことはいろいろとあるが、「神は神である」。神は私の主であられる。だから、神を信頼していけばいい。ヨブはそう深く知った。「神が神である」から、単純に、いつも、神を信頼し、神を愛して生きていく。それでいい。心が軽くなった。彼は苦しみを通して、単純で骨太な神信仰へと導かれた。

なぜこんなことが私に起こるのか、と心悩むことがあろう。わからないことはたくさんある。でも、願わくは、「神は神である」ということのゆえに、神を信頼していこう。神はおられる。神はあなたを愛しておられる。神はあなたと共に苦しみ、あなたを救ってくださる。神は神であられる。いつまでも変わらない。だから単純に神を信頼し、神を礼拝し続けよう。神は近くにおられる。そして、あなたが苦しい中でも、神はあなたがあなたであるゆえに、あなたをこよなく愛していてくださる。