礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2019年12月15日、蓮沼キリスト教会 主日礼拝】   
          「イエスの肉と血にあずかる」 ヨハネの福音書 6:41~59


イエスは「わたしはいのちのパンです」と言う。「わたしを食べなさい」「わたしを信じて、わたしによって永遠のいのちを得なさい」(20:31)と私たちを招いておられる。イエスの招きに応答しよう。
第6章の舞台はイエスが育ったガリラヤである。イエスがなさったパンの増大・5000人への給食のしるし(証拠としての奇跡)を体験し、熱狂した人々は、イエスを自分たちの王にしようとした(15)。イエスは彼らに「永遠のいのちに至る食べ物」をこそ求めるように促し(27)、ご自分が「いのちのパンである」(35)と言われた。本日の個所はその対話の続きである。

Ⅰ 「信じる者は永遠のいのちを持っています」(6:41~47)
「自分たちの間で小声で文句を言う」(43)そのかわりに、イエスの前で大声で文句を言ったらよい。「わかりません」と素直に言うのである。そうしたら、イエスは「わかるまでわたしの前にいていいのだよ」と言ってくださる。わからなくてもイエスの前から立ち去らず、しぶとくそこにとどまり続けよう。
父なる神がイエスに引き寄せてくださるとき、人はイエスのもとに「来る」(44)。イエスを「信じる」(「来る」=「信じる」、35)。父なる神は、みことばの学びを通して人をイエスに引き寄せる(45)。父と子は一つである(10:30)。御父と御子は直面、差し向かいの関係にある(46、1:1)。御父は御子イエスを見、知り抜いているので、人にイエスのことを教え、イエスへと確実に導くことができる。御子は御父を見、父のみこころ知り抜いているので、父のみこころを確実に成し遂げる。イエスを信じる者が“いま、ここで”永遠のいのちを持つようにし、終わりの日にはその人を栄光のからだによみがえらせてくださる(39)。 
「まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています」(47)。これは確実なことである。イエスのもとへ、イエスへの信仰へと導いてくださった神に感謝あるのみである。感謝しつつ、なおイエスのもとに留まる。また、わかるまでイエスの前にいようとする者には、信仰と永遠のいのちが開かれている。父がイエスへと導き、イエスが父のみこころを実現してくださる。

Ⅱ 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています」(6:48~54)
イエスは「わたしはいのちのパンです」(48)と再び宣言される(35)。イスラエルの民が荒野で40年間食べたマナは、神が特別に与えてくださった、天からの食べ物であった(31)。しかし、マナも肉体を一時的に生かすだけのパンでしかなかった(49)。一方、イエスは「天から下って来た生けるパン」(51)。イエスは生きているパンであり、生かすパンである。イエスを食べるなら、すなわち、イエスを信じ受け入れるなら、その人は人生の最期に一度は死ぬとしても(ヘブル9:27)、死を越えて永遠に生きる(50~51)。 
さらに。いのちのパンであるイエスを食べることが、イエスの肉を食べ、イエスの血を飲むと言い換えられる(51c、53~54)。イエスの生涯はご自身に肉を取って始まり(1:14)、血を流すことによって終わる(19:34)。私たちは抽象的なイエスを信じるのではない。受肉して人となられた神の御子、肉体を持って神と人に仕える生涯を歩み、十字架で肉を裂き、血を流して私たち罪人のために贖い(神の御前での罪の償い)を成し遂げ、肉体をもって葬られ、肉体をもって死から復活し、肉体をもって天に上げられ、肉体をもって御父の右の座でとりなしておられる、イエスの全生涯、全人格、全御業を含めたイエスの全体、丸ごとのイエスを信じるのである。
イエスはどのように自分の肉を与えるのか(52)。みことばと聖霊によって、ご自分の肉(存在全体)を霊的に与えてくださる。私たちは信仰によって(特に、聖書朗読と説教、聖餐、祈りを通して)イエスをいただき、永遠のいのちに生かされる(53~54)

Ⅲ 「わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです」(55~59)
神の御子でありながら受肉して人となり、十字架で私たちの罪を贖い、復活し生きておられ、聖霊においてご自身を与えてくださるイエスこそ、まことの食べ物、まことの飲み物(55)。
通常の飲食物はその人の中に入って消化される。イエスの肉と血(丸ごとのイエス)の場合は、飲食した人がイエスのうちに入ってとどまる。また、イエスは消えてなくならず、かえって生きたままその人の内に生き続ける。イエスと信じる者が相互内住し、親密な関係に入る(56、14:20、15:4~7、17:23)。その密接な絆は、人となって世に遣わされたイエスと御父との親密な絆に匹敵するほどのもの(57)。
「生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。」(57)
イエスを信じる者は、イエスがその人の内に生きてくださる(ガラテヤ2:19b~20)。イエスのいのちと結合し、イエスに生かされ、イエスとともに御父のみこころを行い、永遠へと至る(57~58)。

信仰により、みことばと聖霊によってイエスの肉と血にあずかる者は、永遠のいのちに生きる。