礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2019年12月8日、蓮沼キリスト教会】 「万物の終わりが近づきました」 ペテロの手紙第一 4:7~11

アドヴェントは生ける主イエス・キリストを心からお迎えするとき。祈り深く過ごしたい。

Ⅰ 万物の終わりが近づいている。祈りなさい(1:7)
世の終わり、それは現在の世界と秩序を越えた神の世界と秩序が、キリストの救いの完成として実現するときである。「イエス・キリストが現れのとき」(1:7)である。「万物の終わり」は、キリストの再臨、私たちの栄光のからだへの復活、キリストによる最後の審判を経て、完成された神の国・新しい天と新しい地(黙示21:1)で主を礼拝し、互いに愛し仕え合う永遠の生活の始まりでもある。この輝かしい終わりのときを待ち望み、備えよと語られている。
どのように備えるのか。「心を整え、身を慎み」祈るのである。熱狂の祈りではなく、むしろ、静かに、謙遜に、心を傾けて主と交わり、福音の愛を聴き、聖霊の働きに身をゆだね、主の恵みと力とを十二分にいただく、そういう祈りである。そして、祈りながら、行動に押し出されて行くのである。

Ⅱ 万物の終わりが近づいている。愛し合い、もてなし合い、仕え合いなさい(1:8~10)
世の終わりに完成する神の国、新天新地こそ、「互いに愛し合い」「互いにもてなし合い」「互いに仕え合う」ことが最高度に実現する場。私たちはその神の国へと入れていただくのだから、そのように今から行っていく。そうしながら、御国の前味を今ここで味わわせていただき、御国をこの世に証ししていく(ヨハネ13:35)。
「互いに熱心に愛し合いなさい」(8)。全力で愛するとともに、嫌な人も含めて広く愛を注いでいく。そのように熱心に愛する人は、この難しい罪の世にあって「多くの罪をおおう」。相手の弱さを理解し、赦し、その人のために祈り、優しく教え導く。罪をおおわれる側も神の愛を感じる可能性は大である。
次に「互いにもてなし合いなさい」(9)。相手にとって本当に必要なものを提供するのである。
第三に、「賜物を用いて互いに仕え合いなさい」(10)。各人の賜物(神が与えてくださった能力)は教会に、兄弟姉妹に、またこの世のために与えられた賜物なのである。
これらのことは自分の生来の力ではとうてい成し得ない。イエス・キリストに私の内に力強く生きていただき、成し遂げていただかなくてはならない。また、イエス・キリストの聖霊によらなければできない。祈りが必須である。

Ⅲ 万物の終わりが近づいている。神の栄光を求めなさい(1:11)
みことばを語る人は、「神のことばにふさわしく語」らなければならない。神のことばの著者であるキリストの御霊に頼り、聖霊によって語らせていただくということ。そのためにも祈りが欠かせない。
みことば以外の奉仕をする人は、「神が備えてくださる力によって」奉仕しなければならない。復活のキリストのいのちの力、キリストが注がれる聖霊の力によって奉仕させていただくということ。そのためにも祈りが欠かせない。
信仰による祈りは、神に向かってまっすぐに伸ばした手の役目をする。神は祈りを通して恵みを与えてくださる。祈りつつ、キリストとキリストの霊によって互いに愛し、もてなし、仕えるのは、それらのことを通して人があがめられるためではなく、キリストのすばらしさが現わされ、神があがめられるためである。

私たちのこの世の生き方が、完成された御国の栄光を映し出すものとなりますように祈りたい。