礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2019年11月17日 説教アウトライン】    「わたしがいる」   ヨハネの福音書 6:15~21

アイドルグループ「ARASHI」が来年末で解散するという。「世界中に嵐を巻き起こす」という意味で、そして、五十音で最初の「あ」、アルファベットでも最初の「A」で始まることから「頂点に立つ」という意味も込めて、彼らは「嵐」と命名されたとのこと。一方、こちら(私たち)は人生の嵐に翻弄されている。
人生順風満帆とはいかない。逆風がある。試練、困難、大変なことの連続である。しかし、イエスがおられることを忘れてはならない。
イエスは5つのパンと2匹の魚をもって男だけで5000人の人を食べさせた。これはヨハネ福音書における第四のしるし(証拠としての奇跡)であるが、本日の個所はそれに続く第五のしるしである。

Ⅰ 試練の中でイエスを思う(6:15~18)
人々はイエスをガリラヤの王にしようとした。しかし、イエスの王座は十字架であり、復活・昇天の後に着く天の王座である。神がイエスを王座に着けるのであり、まだその時ではなかった。それで、イエスは「弟子たちを無理やり舟に乗り込ませ」(マルコ6:45)、「祈るために」(同6:46)「再びただ一人山に退かれた」(15)。 弟子たちは湖に漕ぎ出したが、舟にイエスはおらず、闇に覆われていた(17)。彼らは突如、嵐に見舞われ、風と波に翻弄された(18)。
試練は突如来る。しかし、「何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思っては」ならない(Ⅰペテロ4:12)。イエスが私たちを試練の中に置かれたのである。私たちを試し、へりくだらせ、父・子・聖霊の神と新たに出会わせ、神を喜び、神への信頼を強め、成長させるためである(Ⅰペテロ1:7、4:13、ヤコブ1:2~4,12、ローマ5:3~5)。
私たちの嵐の時、イエスは天でとりなし祈っておられる。そして、「さらに、湖は大いなる風が吹いていて奮い立たせられていた」(18)という語に暗示されているように、神の息吹である聖霊が私たちを揺さぶりながら、何か大切なことを教えようとしておられるのである。
「この試練にも神の目的がある」「イエスが祈っておられる」「聖霊が私を揺さぶり、成長させてくださる」。試練の中でイエスに思いを向けよう。

Ⅱ 試練の中でイエスを仰ぎ見る(6:19~20)
 ガリラヤ湖は南北21km、東西12kmの湖。弟子たちは陸から25~30スタディオン(約5km)の地点、湖のかなり中ほどに来ていた。試練の真っただ中。そこにイエスが嵐吹きすさぶ湖の上を歩いて舟に近づいて来られた(19)。天地創造の初めの時、最初の光が造られる前の暗闇では、神の霊(聖霊)が大水の面を動いていた(創世1:2)。そのように、聖霊に満ちたイエスが、嵐に荒れ狂う水の上を歩いて近づいて来てくださった。湖上を闊歩するイエスは、海の水を分け、「海の真ん中の乾いた地面」を通り抜けて行ったモーセ(出エジプト14:21~22)以上の人物である。
弟子たちはそのイエスを幽霊と錯覚し、恐れおびえた(19、マルコ6:49~50)。イエスは言う。「わたしだ。恐れることはない」(20)。「わたしだ」はギリシャ語で「エゴー・エイミ」、英語では“I am”。神がモーセにご自分の名を「わたしはある」と紹介したが(出エジプト3:14)、イエスはご自分が「わたしはある」という名を持つ主なる神なのだと言っている。しかも、「わたしはある」は「わたしがいる」ということでもある。 嵐の中で、試練の真っただ中で、イエスは私たちにぐんぐん近づいて来られ、「わたしだ」「わたしは主なる神だ」「わたしがともにいる」「大丈夫!」と語ってくださる。
イエスは「私の主、私の神」(20:28)。永遠からおられ、天地万物を創造し(1:1~3)、万物を治め(コロサイ1:17、ヘブル1:3)、嵐を静めることもでき(マルコ4:39)、水の上を歩くこともできる。荒れた海から人を救えるのは神のみ(詩篇107:23~32、ヨナ1:1~16)。イエスはまさにそのお方。
イエスは恐怖の対象ではなく、「私の主、私の神」と信頼し、礼拝する対象である(マタイ14:33)。試練の中で、私たちにいよいよ近づき、愛をもって語りかけ、臨在を現わし、ともにいてくださる生ける主イエスに目を開こう。

Ⅲ 試練の中でイエスを迎え入れる(6:21)
「そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした」(21、新共同訳)ところ、イエス自身が彼らの船に乗り込んで来られた(マルコ6:51)。「すると、舟はすぐに目的地に着いた」(21)。
試練の中でイエスを見失い、あせり、もがき、苦闘する私たち。個人においても共同体においても、問題の渦中にイエスを迎え入れるなら、もつれた糸は解け、目的に向かい円滑に事は進む。

「わたしがいる」。イエスは変わることがない(ヘブル13:8)。試練の中でもイエスに感謝し、試練の中を進ませていただこう。