礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【説教アウトライン、2019年9月15日(敬老感謝礼拝)】 
  「愛は絶えることなし」   コリント人への手紙第一 13:1~14:1a


いつまでも残る「信仰と希望と愛」、特に愛に生きていくことができたら幸いである。

Ⅰ 神の愛
「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:16)、「愛は神から出る」(Ⅰヨハネ4:7)。
神は私たちを罪から救うため御子を世に与えられた(ヨハネ3:16)。神は今日も、人となって十字架にかかり、死からよみがえられた御子イエスを私たちへのプレゼントとして差し出しておられる。この神の愛を覚え、神の愛のプレゼントであるイエスを受け入れ、そうして神の愛を受け取りたい。

Ⅱ 「愛」という霊の賜物
コリント人への手紙第一の12~14章のテーマは、「御霊の賜物」(12:1)である。
神がくださる第一の賜物は「聖霊」(ルカ11:13)。キリスト者は皆等しく聖霊をいただいており、聖霊によって「イエスは主」と信じ、イエスとの交わりに入れられた(12:1~3)。
また、キリスト者は聖霊によって、「キリストのからだ」である教会、聖徒の交わり、神の家族(エペソ2:19))に結ばれ(12:12~13)、そして、同一の聖霊の各人における異なった「現れ」(12:7)である種々の賜物を、兄弟姉妹みなの益となるために用い、仕え合い(12:4~11)、そのようにして、個人としても教会としても、キリストに似たもの、キリストを映し出すものへと成長させられていく。
しかし、パウロは御霊の賜物について、「よりすぐれた賜物」「さらにまさる道」(12:31)があると述べ、それは「愛」であり、愛という賜物を追い求めるように勧める(12:31~14:1)。
どんな御霊の賜物もそこに「愛がなければ」それは騒音であり、無に等しく、何の役にも立たない、とパウロは言う(1~3)。
4~7節には愛の特質が列挙されている。
自分の愛を自己吟味させられる時、欠けだらけであることを痛感させられる。しかし、神はそんな私たちに対しいよいよ「忍耐強く(寛容)」「情け深い(親切)」。だからこそ、受肉と十字架と復活のイエス・キリストを見上げ、神の愛の中にいつも身を置き、愛を味わいながら、聖霊の賜物としての愛を受け取り続けたい。

Ⅲ 神の愛が私たちの信仰と希望と愛を生み出す
現実はいろいろ大変なことが起こってくるが、それでも、人となって十字架かかり、死からよみがえられたイエスを見上げ、このイエスを通して表され、注がれ続けている神の愛を思うとき、「神様を信頼して生きていこう」、「神様に期待して、希望をもって生きていこう」、「神様を愛して生きていこう」という思いにさせられる。神の愛は、聖霊によって私たちのうちに働き、神に対する私たちの信仰と希望と愛をさらに生み出す。
また、神の愛は、私たちの隣人に対する信仰と希望と愛をも生み出す。神の愛を深く実感し、神の愛に活かされていくとき、私たちは隣人を信頼し、隣人に期待し、そして、信頼と期待が裏切られたとしても、なお隣人を愛していくようにと促される。神を信頼するがゆえに隣人をも信じ、神に期待するゆえに隣人にも期待し、神から注がれる愛をもってなおも隣人を愛していくのである。

Ⅳ いつまでも残る信仰と希望と愛
人は神との生きた交わりの中にあってこそ、真に生き生きと生きることができる。「信仰と希望と愛」は、神と私たちとの交わりをも表している。私たちの神との交わりは、具体的には、信仰と希望と愛によって展開されていく。神に愛され、十字架で死んで復活されたイエス・キリストにおいて示された神の愛を受けとめること。どんなことがあっても救い、活かし、祝福してくださる神を信頼し、この神に期待し、そして、この神を愛していくという形で展開されるのである。
この「信仰と希望と愛」はいつまでも残る、永続すると聖書は言う。つまり、愛の神と私たちの交わりはずっと続くということ。死後直ちに行く天にあっても(ピリピ1:23)、世の終わりにもたらされる新天新地、完成された永遠の神の国においても続く。信仰と希望と愛は、新しい永遠の世界においてこそいよいよ力を発揮し、輝くのである。

神の愛は完全である。神の愛は豊かに注がれている。しかし、私たちはまだまだ神の愛を十分受け取り切れていないし、神の愛を十分に体得しきれていない。でも、私たちは神に愛され、神を愛し始め、神の愛で隣人を愛することを習い始めているす。老いも若きも、愛に生きる道はずっと続く。そして、その道の果てには、大いなる希望がある。
英国の神学者N・T・ライトのことばを引用して、結びとしよう。

「第一コリント書13章が言わんとしているのは、愛は私たちの義務ではなく、宿命であるということだ。愛とは、イエスの話した言語だ。そして私たちもイエスと会話できるよう、その言語を話すようにと召されている。愛とは、神の新しい世界で私たちの食す食べ物だ。だから私たちは今ここで、その味を覚えなければならない。愛とは、すべての被造物が歌うために神が書いた音楽だ。私たちは今それを学び練習するように召されている。指揮者が指揮棒を振り上げるとき、私たちも歌う準備ができているようにと。愛とは、復活のいのちだ。復活したイエスは、今すぐそのいのちを生き始めるようにと、私たちを召している。イエスとともに、イエスのために。」
(N・T・ライト『驚くべき希望 ~天国、復活、教会の使命を再考する~』、(あめんどう、2018年))