礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2019年9月1日 説教アウトライン】    「死からいのちに」    ヨハネの福音書 5:19~29

イエスは安息日に、38年間も病に臥せっていた人を癒し、「わたしの父は今に至るまで働いていておられます。それでわたしも働いている」(17)と言われた。安息日も決して休むことなく世界を治め、人を活かし、祝福し、救い続ける父なる神とともに自分は働く、自分は御父と同等の神だと宣言された。

Ⅰ すべて御父がなさることを、御子も同様に行う(5:19~23)
イエスは「アーメン、アーメン、汝らに告ぐ」と繰り返し(19,24,25)、真実のことを、全身全霊をこめて語る。
御子は御父と離れては何事もなさらない(19)。御子は永遠から御父と完全に一つとなっておられる(10:30)。イエスの心は神の心、イエスのことばは神のことば、イエスの行為は神の行為なのである。私たちはイエスにおいて神を見、神に触れ、神に出会う。
御父は愛ゆえにご自身がなそうとすることを御子に示し、御子に任せる(20)。御子も御父への愛ゆえに御父に従い、御父の心を実行する。その両者の間に聖霊は豊かに働き、大いなる神のわざがこの世界に展開していく。
御子が38年間病気だった人を安息日に癒しましたことはまだ序ノ口。御父はさらに大いなるわざを御子に示し、御子はそのさらに大いなる驚くべきわざを行う(20)。それは神のみが真実になしうることであり(申命32:39、創世18:25)、第一に、人を死からいのちによみがえせること(21)、第二に全人類に対する公正なさばき、最後の審判(22)。

Ⅱ 御子において神を信じる者は、永遠のいのちを持っている(5:24)
永遠のいのちは「御子のうちにある」(Ⅰヨハネ5:11)。御子を信じるとは、イエスの語りかけを聞いて、私を愛してくださる御父の愛を受け取り、御父と御子イエスとに信頼していくこと(14:1)。御子イエスにおいて神を信じること。このように御子イエスを信じる者は、「永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています」(24)。
私たちの罪の身代わりに十字架で神のさばきを受けて死に、三日目に死者の中から永遠のいのちによみがえらされた主イエスに結ばれて、今この時から「永遠のいのちを持ち」、三位一体の神との交わりの中に永遠に生かされていく。イエスの十字架においてその人のさばきは完了したゆえ「さばきにあうことがなく」、霊的に死んだ状態(エペソ2:1)から、霊的に生きた状態へ、「死からいのちに移っています」。

Ⅲ 今ここで、神の子の声を聞く者は生きる(5:25~29)
もし今、御子のことばを聞き、聞いて受け入れ、信じ、「イエス様、よろしくお願いします」と身をゆだねるなら、「生きます」!さばきはすでに終わり、死からいのち移っており、永遠のいのちに生きる。「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」(Ⅱコリント6:2)。
しかし、やがて、いやでも、万人が神の子の声を聞く時が来る。最後の審判の時である。「善を行った者(御子を信じた者)はよみがえっていのちを受けるために墓から出て来」、「悪を行った者(御子を信じない者)はよみがえってさばきを受けるために墓から出て来」ることになる。この厳粛な事実をよくわきまえたい。

永遠の御子は人となり、私たちの罪を負って十字架について神のさばきを受けて死んでくださった。私たちの罪の贖いを完了してくださった。イエスは死んで墓に葬られたが、三日目に死に勝利してよみがり、今生きておられる。イエスは今も生きておられ、聖霊において私たち一人一人の所に来て、ご自分を差し出して言われる。「アーメン、アーメン、あなたに告げる」。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(20:27)。このイエスの招きに、今日、今ここで、そして、これからも日々、真実に応えさせていただこう。「私の主、私の神よ」と。