礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2019年8月25日 説教アウトライン】   「広がる主のみことば」    使徒の働き 19:8~40

パウロは第三次伝道旅行(紀元52~57年)で、エペソに「三年の間」(20:31)留まった。

Ⅰ 主のことばが響き渡る(19:8~12)
パウロは、ユダヤ人の「会堂」から異邦人の学びの場である「ツラノの講堂」に移り、「二年の間」伝道を続けた。彼は迫害、妨害、投獄などの弱さの中にあった(Ⅰコリント15:31~32、Ⅱコリント1:8)が、主イエスの励ましを受け(18:9)、なおも主イエスの福音を人々に語り、人々と分かち合った。
「こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった」(19:20)。
同じ主が私たちと共におられ、同じ主イエスのことばが今も生きて働く。「主のことば」(主イエスの福音、聖書のことば)が私たちに救いの恵みを与え、救いを確信させてくださる。さらに、主は創造的な力あることばをもって、私たちを、教会を、社会を、世界を新たに造り変え、すばらしいことを成し遂げてくださる(イザヤ55:11)。

Ⅱ 主イエスの御名によって悪霊と戦う(19:13~16)
ある「ユダヤ人の巡回祈祷師」七人が「主イエスの御名」で悪霊追放を試み、手ひどい失敗をした。主イエスとの人格関係なしに、イエスの御名を呪術的に、私欲のために利用する企ては破綻する。
私たちは主イエスを信じ、主の「御名」(主イエスご自身)に結合され(バプテスマされ)、聖霊をいただいた者、主イエスのものである(5~6)。それゆえ、キリストのからだである教会共同体にあって、主イエスの御名によって祈りながら、“人を神から遠ざけ、平和を壊し、いのちを蝕み、世界と時代を支配する悪霊”と戦って行く。
「主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身につけなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:10~12)

Ⅲ 主イエスの御名をあがめつつ、光の生活へと進み行く(19:17~20)
エペソ全体に、主イエスの御名(主イエスご自身)をないがしろにすることへの「恐れ」が生じ、「主イエスの御名をあがめ」、主イエスを信頼して、隠れていた罪を「告白」し、罪の行為を清算するうねりが広がった。
主イエスご自身が、力あることばをもって、暗黒の中に巣食っていた悪と罪の力と、そこに現れた生活とを打ち砕かれる。私たちも自分の罪の姿を主イエスの前に差し出し、主イエスご自身を見つめ、主イエスご自身に聴きながら、主にあって、光の子どもらしく歩ませていただこう。
「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。何が主に喜ばれることなのか吟味しなさい。実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。」(エペソ5:8~11)

Ⅳ 「必ずロマをも見るべし」、そして、エペソ大騒擾(19:21~40)
「御霊(聖霊)の示し」によって「必ずローマをも見るべし」とエルサレムを経てローマに行く道を見据えたパウロであったが(21)、それを挫くかのようなエペソ大騒擾事件が起こる(23~40)。
「手で造った物は神ではない」と語るパウロの教えに、エペソのアルテミス女神の神殿のミニチュア銀細工職人たちが、このままでは商売が危ういと危機感を抱いて起こした騒擾であった。しかし、パウロは「パウロの友人でアジア州の高官であった人たち」(31)や「町の書記官」(35)といった非キリスト者たちによって、不思議な形で助けられ、騒擾は収拾された。主の助けは思わぬところから来ることがある。
主は生きておられる。それゆえ、私たちは決して失望しない。私たちは弱さの中に生きている。しかし、私たちの弱さの中で、主のことばにはまことに力があり、主イエスの御名(主イエスご自身)は勝利する。「我すでに世に勝てり」(ヨハネ16:33)。主に栄光あれ!

巨大なアルテミス神殿を3年間毎日、横目で見ていたパウロは、後にエペソ人への手紙の中で究極の神殿の姿を描く。私たちが主イエスに結ばれ、銀よりも尊い宝の一人一人として、天地を貫く霊の神殿として築き上げられ、神のみ栄えが教会を通して輝く様を。
「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:19~22)
「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(エペソ1:23)。
「永遠のいのちを受け継ぐ者として教会に召されている幸いと喜びは、…何ものにも代えられません。聖霊に導かれて、私たちはこの体とたましいをあなたの御前にささげます。」(蓮沼キリスト教会 聖餐式文)