礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2019年8月4日 説教アウトライン】   「老いも若きも主の御前で」   エズラ記 3:1~13

「神に向かって旅を続ける人は、だれでも、一つの始まりから新しい始まりへと歩みます。そしてあなたは、勇気を出して、自分にこう言い続けるのです。『もう一度始めよ。失望は置き去るのだ。お前のたましいを生かすのだ!』」(ブラザー・ロジェ『信頼への旅 内なる平和を生きる365日の黙想』)

旧約聖書のエズラ記は、旧約の神の民イスラエルの再出発の出来事を記録している。紀元前586年、神の民イスラエルの王国は滅び、民はバビロンに捕囚されたが、前538年、バビロン帝国はペルシア帝国によって滅ぼされ、イスラエルに解放と再出発の時が訪れた。

Ⅰ 神殿再建という目標
エルサレムに帰還した民の第一の目標は、信仰共同体の中心としての神殿再建であった。
私たちにとって神殿の再建とは何か。神殿は神の御住まい(エペソ2:19~22)。神の臨在の場、神の栄光が輝く場である。そして、キリストに結ばれた私たちキリスト者も、「ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなる」(エペソ2:22)。実に、キリスト者の交わりである教会、信仰共同体である教会こそが神殿である。その交わりに、その礼拝と奉仕の営みに神が臨在し、そこに神の愛と義が、神の栄光が豊かに現わされるから。
神殿を再建すること、それは教会、聖徒の交わり、信仰共同体を、そしてキリスト者の家庭を、神の臨在と愛と義がより豊かに現れる交わりへと整えていくことにほかならない。教会と家庭が信仰と希望と愛にあふれるものにされていくことである。福音の信仰に堅く立ち、混じりけのない愛の実践に生き、神に希望を置く忍耐強い祈りに徹する。教会の一人一人が、そして、家庭に遣わされた私たちキリスト者一人一人が、そのような生きざまに整えられていき、そうして、神の臨在と栄光が教会と家庭に、さらには世界に豊かに現わされること、それが神殿の再建である。

Ⅱ まず祭壇を築き、全焼のいけにえを整える
「民は一斉にエルサレムに集まって来た」(1)。神を慕い求めるところに真の一致があり、この一致のあるところに聖なる神の栄光が現わされた(ネヘミヤ8:1、使徒2:1)。まず、恵みの神の招きを覚えて、皆が一つ心になって神を慕い求めたい。詩篇105:4。
イスラエルの民は神殿再建に先立ち、祭壇を築き、全焼のささげ物を朝夕にささげた(2~5)。敵の脅威を前に砦や城壁を築くのではなく、祭壇を築き、そこに真の安全を見出した。
私たちにはイエスの十字架が祭壇、十字架のイエスが全焼のささげ物。イエスの十字架のもとに立ち、十字架のイエスを見上げることが優先である。そこにおいてこそ、罪の赦しと神の愛を確認し、全き平安を得、新しい力と希望を得て立ち上がることができるのである(ローマ8:32)。

Ⅲ 恵みといつくしみの神が神殿を建てる
すでに神殿の建設資材は蓄えられていたが、第二年目の第二の月に、人的組織化がされ、全員参加の神殿再建工事が始まる。
最初に定礎式がなされた。「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」(11)と歌われ、あなたの神となる、あなたのただ中に住むという契約に誠実なる神の恵みといつくしみが信仰告白された。
人材や組織が神の家を建てるのではない。神の恵み、いつくしみ深い神が神殿を立てる。神の恵みの本体であるイエス・キリストが神の家の土台であり、イエス・キリストの聖霊が神の家を建てていく。

年配者たちは過去を回想して涙しつつ、若者たちは未来を展望して喜びつつ、共に大声を上げた(12)。自分たちの罪と弱さに対する悔い改めと、それでも真実を尽くし続けてくださる神の恵みへの感謝、そして、将来への希望が含まれた、年配者の真実な涙の上に、若い世代は希望をもって歩み出すことができた。意気揚々と神殿再建に立ち向かって行ったのである。
「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに、教会に、聖徒の交わりに、各家庭に。キリストのからだ、神の家を建て直し、建て上げ、そこに栄光あらしめてください。アーメン。」