礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2018年12月30日 説教アウトライン】  「この方こそ神の子」  ヨハネの福音書 1:29~34

 イエスが公に活動を始めた最初の週の出来事(1:19~2:11)のうち第二日目のヨハネの証し。

 「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(1:29~31)
 旧約聖書には、いろいろな「子羊」が登場する。「過越の子羊」(出エジプト12:3~13)、「毎日絶やすことなく朝夕、祭壇でささげられる全焼のささげもの(全焼のいけにえ)の子羊」(出エジプト29:38~46)、預言者イザヤによるメシヤ預言に出てくる「ほふり場にひかれて行く小羊」(イザヤ53:4~12、口語訳53:7)など。バプテスマのヨハネは、イエスを「神の子羊」と呼ぶ。イエスは旧約のいろいろな子羊を通して指し示されていたものの実体、「実物」(ヘブル10:1)。イエスこそ、全生涯にわたって神に従い、最後は十字架にかけられて殺された(ピリピ2:8)、「神の子羊」。
 しかも、「世の罪を取り除く」神の子羊(29)。「世」とは、ヨハネ福音書では、「神に反逆する罪深い」世、全世界の人々。イエスは地上の生涯の最後に、十字架の上で、「身代わりの刑罰を受けて、私を罪の刑罰から救い、罪の赦しを受けさせてくださるお方」。私たちはそのように信じるのである。
 「私が来て水で(悔い改めたしるしとしての)バプテスマを授けているのは、この方(罪を取り除く神の子羊であるイエス)が…明らかにされるためです」(31)。悔い改めは本当に大切、そして、ますます大切である。「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、「悔い改めよ…」(マタイ4:17)と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである」(ルター『95か条の提題』第一項)。イエスを信じつつ、罪から神へと生き方の方向を変える「悔い改め」を続ける中で、「世の罪を取り除く神の子羊」であられる恵み深いイエスの姿がいよいよ「明らかにされ」(31)、生きた交わりが深められる。

 「御霊が…天から降って、この方の上にとどまられるのを私は見ました」(1:32)
 旧約時代、就任式にあたって油を注がれたのは、祭司と王と預言者。イエスこそ、人手によらず、天から直接に聖霊の「油を注がれた者」、「メシヤ」、「キリスト」、真の大祭司、真の大王、真の預言者であられる救い主であられる。
 ヨハネがイエスにバプテスマを授けた直後、この事実がはっきりと見えるかたちで示された(マルコ1:10)。ヨハネはその目撃証人なのである。

 「聖霊によってバプテスマを授ける者である」(1:33~34)
 イエスはペンテコステの日に、天から、イエスを信じるすべての者に聖霊を注がれた(使徒2章)。その日以来、罪からの救い主としてイエスを信じる者はだれでも例外無しに、「罪の赦し」とともに「賜物としての聖霊」(使徒2:38)を受ける。これが「聖霊のバプテスマ」である。
 イエスを信じた者は、「罪を取り除かれ」、「罪の赦し」を受けただけではなく、自分のうちに聖霊なる神を持つ者とされている。なんと素晴らしいことか。聖霊は「私たちが御国を受け継ぐことの保証」(エペソ1:14)。私たちを神の子どもとして生き生きと生かしてくださるお方である。

 最後に、バプテスマのヨハネは証言する。「この方は神の子である」と(34b)。
 福音書記者・使徒ヨハネも言う。「これらのこと(この福音書のすべての内容)が書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によって(イエスご自身によって)いのちを得るためである。」(20:31)
 バプテスマのヨハネと福音書記者・使徒ヨハネが一つになって、「この方こそ神の子。このイエスを信じて、永遠のいのちを得てください。永遠のいのちに生きてください」と訴える。現代の荒野に呼ばわるこの声を、むなしく風とともに去らせてはならならない。